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フォスター・チルドレン 66

第5章 愛情を押しつけられちゃたまらない(12)

4(承前)

「研ちゃんを炊事場の奥に寝かせたときに、『ママ、ここにお金、置いておくから』ってカウンターのほうから樋野さんの声がして、あたしがカウンターに出てみたら、もう樋野さんの姿はどこにもなかったのよ。なんだか慌ただしく店を出ていったみたいだったわ」
「そういえば変な話だよね。あの日は樋野さん、車で帰ったもの」
 研ちゃんの声。
「……親父、酒を飲んでいたんですか?」
 信じられなかった。飲んだあとに運転をするなんて――。
「といってもウィスキーをほんの一口飲んだだけだから、まったく問題はなかったんだけどね」
 警察からも、親父の体内からアルコールが検出されたという話は聞かされなかった。量的には問題なかったのかもしれない。しかし親父の性格からいって、酒を体内にいれたすぐあとで車を運転するなど、到底考えられなかった。
「いつもは車を置いて電車で帰るか、代行を頼むはずなんだけどね。それほどの量は飲んでいなかったけれども、あれ、おかしいなとは思ったわ」
「しかも家とは逆の南の方向へ……」
 僕は呟いた。
「事故に遭ったのはE**岬の交差点なんでしょう? 本当だ。家に帰る方向とは逆ね」
「どこへ行くつもりだったと思います?」
「さあ……あの先は海だからね。これといった繁華街があるわけでもないし……」
 結局、最大の謎は解けないままであった。いや、それどころか謎はますます増えてしまったようだ。酒を飲んだ親父が車を運転するとは――よほどの理由があったに違いない。
「そうそう。樋野さんがうちへ預けているどくだみ茶がまだ残っているのよ。これどうします?」
「あ……処分してください。僕はどくだみ茶、あんまり好きじゃありませんから」
「あら、そうなの? あたしは樋野さんの影響で、すっかりどくだみ茶のファンになっちゃったんだけど」
「父はどくだみ茶中毒でしたから」
「そうね。最後にうちの店に来た日も、研ちゃんが作ったどくだみ茶を、ウィスキーと一緒にちびちびと飲んでいたから」
 ママは何気なくそういったのだろう。しかし、そのひとことは僕にとって非常に重要な意味を持っていた。
「……研ちゃんが作ったどくだみ茶? 親父はいつもドリンクボトルの中のお茶を飲んでいたんじゃないんですか?」
「そうよ。でもね、あの日は研ちゃんが薬を飲むために、ボトルの中のどくだみ茶を平らげちゃったのよ。鼻炎にはどくだみ茶がいいって、薬と一緒に樋野さんが薦めてくれたの。ボトルにたっぷり入っていたお茶を、研ちゃん、遠慮なしに一気に飲み干しちゃって。店には樋野さんのどくだみ茶がキープされていたから、すぐに補充したのよね」
 全身に電流が走ったような衝撃を受け、僕の指先は小さく痙攣した。
 なぜ「愛夢」のバーテンダーがいきなり居眠りを始めてしまったのか、その理由がわかった。徹夜の麻雀が祟ったのではない。どくだみ茶を飲んだから。僕の作ったお茶を飲み干してしまったから。
 つまり――親父は僕の作ったどくだみ茶を飲まなかったことになる。
 親父が事故に遭ったのは、僕の入れた睡眠薬が原因ではなかったのだ。

第5章「愛情を押しつけられちゃたまらない」終わり
第6章「私の願いを聞いてください」につづく

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