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フォスター・チルドレン 67

第6章 私の願いを聞いてください(1)

 ますますわけがわからなくなってしまった。
 親父は信号無視をして、事故に遭った。親父が信号無視をするなんて考えられなかったが、僕だけはその理由を知っているつもりだった。親父は僕の仕掛けた睡眠薬で意識が朦朧としていた――僕はずっとそう信じていたのだ。
 だが、親父は睡眠薬を飲んでいなかった。となると、親父が信号無視をした理由がまたもやわからなくなってしまう。
 僕は混乱した。心の動揺をどう処理していいかわからない。
 「愛夢」のライターを段ボール箱の中に戻したあと、僕はもう一度、箱の中身をざっと見渡した。
 心に引っかかりを感じる。この箱の中身はどこかおかしい。しかし、それがなんであるかを説明することもできず、なんとも居心地の悪い気分になった。
 ――どうして、こんなにも箱の中身が気になるのだろう?
 背広、ワイシャツ、ネクタイ、スラックス、下着、靴下……どれも、僕の趣味には合わない柄だった。残しておいても仕方がないだろう。
 眼鏡、腕時計……どちらも壊れてしまっている。使いものにはならない。
 以上の品は事故に遭ったとき、親父が身につけていたものだ。車内に残されていたのは、小物入れ、千円程度の小銭、ぬいぐるみ、クッション、煙草、ライター、カセットテープ、手帳、免許証、「心のオアシス」の会員証、財布、洗車道具一式、そして母さんの写真――それですべてだった。
 僕は小銭とカセットテープ、それから母さんの写真だけを箱の中から取り出し、それらを上着のポケットへ押しこんだ。あとは適当に処分しようと考えていた。
 これといった目的もないまま家を飛び出し、気がつくと「ミルキーロード」の前で蘭を待ち続けていた。蘭が今日、仕事に出ているのかそうでないのか――それすらわからなかったが、僕は建物を見上げ、彼女が現れるのを待った。
 蘭が店から出てきたのは明け方近くだった。五時間以上、店の前で待ち続けたことになる。これじゃあストーカーだな――僕は苦笑した。
 この前の別れ方があまり気持ちのいいものではなかったので、蘭はまた迷惑そうな顔をするかと思ったが、この日は機嫌良く――彼女のほうから僕に近づいてきてくれた。
「この間はごちそうさま」
 微笑みながら蘭がいう。
「いや……あのさ……お通夜、来てくれてありがとう」
 僕は頭を掻きながら答えた。
「あなたのお父さんの顔を見て、あたしびっくりしちゃった。知ってる? あなたのお父さんって――」
「『愛夢』の常連客だったんだろう?」
 蘭の言葉を遮って答えると、彼女は目を大きく見開いて、
「知ってたの?」
 と頓狂な声をあげた。
「いや、俺もついさっき知ったばかりでさ」
「そう――」
 蘭が道端の石ころを蹴り上げる。石は軽い円弧を描き、闇の中に消えた。
「あたし、あなたのお父さんと結構仲よかったんだよ。樋野っていう名前だということは知っていたけど、まさか樋野君のお父さんだったとはね。いろんな話をしたなあ。あたしの夢の話だって、あなたのお父さんは真剣に聞いてくれた」
 彼女はアスファルトの上をくるくる回りながら、僕に顔を近づけた。
「そういえば、よく息子の自慢話をしていたわよ。嬉しそうな顔で、俺の息子はすごいって。俺は音楽なんてさっぱりわからないけど、息子は自分で曲を作って演奏して、一生懸命に夢を追いかけてる。俺が早くに捨ててしまったものを、息子はずっと追い続けている。あいつは俺の誇りだって」
「まさか」
 僕は笑った。親父はひどく酔っていたのか、あるいは蘭の作り話なのだろう。親父がそんなことを口にするとは思えない。

つづく

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