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フォスター・チルドレン 60

第5章 愛情を押しつけられちゃたまらない(6)

3(承前)

 朋美はぶたれた頬を押さえ、憎悪の視線をこちらに向けた。
「帰ってよ。なんにもわからないくせに」
「ああ、わからないよ。でも、一人で悩むことないだろう? 親父に電話する勇気はあったんだし。お願いだ、話してくれよ。なにを悩んでいるんだ?」
「あなた、馬鹿じゃない? なにも悩んじゃいないわよ。あたしは幸せ。あなたのお父さんへの電話は、ただむしゃくしゃしていたから、なんとなくかけてみたの。あなたのお父さんがあたふたする姿を陰から眺めて、楽しんでいただけ」
 朋美は口元に笑みを浮かべた。背中に冷たいものが走る。なにか悪い霊にでもとり憑かれたのではないか――そんなふうに思わせるくらいの恐ろしい表情だった。
「正直、あの人が死んで、あたしせいせいしたわ。あの偽善者――あたしたちを哀れんで、援助して、一体、何様のつもりよ? 逆境にくじけずに頑張っていきましょうね――そんな言葉を聞くたびに反吐が出そうになったわ。あんな奴、殺されて当然よ」
 朋美の唇はわなわなと震えていた。
「小さい頃から、あたしはお父さんに虐待を受けていた。お父さんとお母さんは仲が悪くて、四六時中喧嘩ばかり。喧嘩の原因はいつだってあたしのことだった。高校三年生の――あの事件のときだってそう。きっかけはあたしの大学進学のこと。あたしは大学に行きたかった。特別に将来の目標があったわけじゃないけど、あたしより成績の悪い子が大学へ行くのに、あたしだけ働かなきゃならないのは不公平だと思った。お母さんもあたしが大学へ行くことには賛成してくれた。でも……でもお父さんは……。あの日もお父さんは酔っぱらって帰ってきて、あたしのことで喧嘩になって……かっとなったお父さんはお母さんを刺し殺した……」
 僕はなにも答えることができず、ただ黙って朋美の話を聞くしかなかった。
 朋美は饒舌に喋り続けた。今まで心の底にたまっていた思いを一気に吐き出しているような感じだ。視線は宙をさまよっていて、なにを見つめているのかはっきりしない。
「お母さん、お腹から血をいっぱい噴いて倒れた。血はどくどくと音を立てて――知ってる? 本当にどくどくって音がするんだよ――お父さんはそれでもまだ乱暴にお母さんを刺し続けた。あたしはその光景を呆然と眺めていた。結構、冷静だったことを覚えてる。いつかこんな日が来ることを、あたしは予感していたのかもしれない」
 僕は下唇を噛んだ。気をゆるめると、親父の死に顔が浮かんできそうになる。
「あたしの身に突然怒ったこの事件は――もちろんショックではあったけれど……でも、あたしはみんなが思っているほど弱くはなかった。あたしは一人でも生きていける――そう思っていた。
 あたしを本当に打ちのめしたのは事件そのものじゃない。そのあとの周りの反応よ。みんな、腫れ物にでも触れるようにあたしを扱った。あたしのことを抱きしめて、『可哀想に。この子はなんて不憫なんだ』と涙を流した。事件以来、数少ない友達からの電話もぱったりかかってこなくなった。……あなたからもね」

つづく

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