見出し画像

下手の横スキー09

第9回 雪崩の恐怖

 びっくりしたなあ、もう。

 深夜──草木も眠る丑三つ時。自分の部屋で「ひい、締切に間に合わないよおおっ!」と泣き叫びながら仕事をしていると、突然なんの前触れもなく、

 どぉぉぉぉんっ!

 ものすごい音が響き渡りました。
 なんだ、なんだ? 地震か、隕石か? それとも、ついに戦争が始まったのか? そうじゃなければ、喪黒福造の登場? ほーっほっほっほっ。どぉーんっ! ほーっほっほっほっ。笑ってる場合か。

 慌てて部屋を飛び出し、あたりを見回すと、書庫のドアが開き、廊下まで本があふれかえっています。
「な、なんじゃこりゃああああっ!」
 松田優作ばりのリアクションで、室内を覗き込むと……うわあ、本棚がすべて倒れちゃってるよ。足の踏み場、まるでナシ。あたり一面、本の海。あー、こりゃこりゃ。
 僕の大切な本を、メチャクチャにしやがったのは一体どこのどいつだ? もしかして、犯人は本の海にひそんでいるのか?
「敵は本の海にあり!」
 思わずそう叫んだお茶目な35歳黒田です。

 いやあ、雪崩は怖いねえ。目の前の惨状に慌てふためき、「ナダレ~!」と「哀しみの黒い瞳」を歌っちゃったくらいだもんなあ(古すぎます)。もしも、本家本元の雪崩に遭遇したら、「ナダレ~!」だけでは収まらず、「お嫁サンバ」まで踊っちゃうかもしれません(意味不明)。

 そんなわけで、今回は雪崩のお話。
 といっても、さすがに雪崩に遭遇した経験はありません。
 プロスキーヤーが海外のオフピステ(圧雪などの整備がされてない斜面)を滑っているビデオを見ると、ときどき雪崩に追いかけられるシーンが映っていたりして、ブラウン管越しであってもハラハラドキドキしちゃいます。
 そこはさすがにプロだから、たとえすぐそばまで雪崩が迫っていても、冷静沈着に危険エリアから逃げ出すんですが、もし僕のような素人が実際に遭遇したら、「あわわあわわ」と動揺するばかりで、たぶんその場に座り込んじゃうんじゃないかと思います。

 あ。レストハウスの屋根から落ちてきた雪で、胸から上がすっかり埋まってしまった──という経験ならありますよ。
 まず、すぐそばで滝の流れるような音が聞こえ、「え? なんだ?」と思った瞬間、身体に激しい衝撃を受け……我に返ったときには視界ゼロ。あたりは真っ暗。呼吸することもままならず、これはかなりの恐怖でした。
「うわあっ! このままじゃ死んじゃうよ!」
 必死になってもがいたら、すぐに脱出できましたけど、もし腕も脚も雪の中に埋まってしまい、身体の自由がまったく利かなかったら、もうどうすることもできなかったでしょうね。

 あれしきのことでもパニックに陥るんだから、雪崩なんて想像しただけで膝が震えちゃいます。

 雪崩の場合、巻き込まれたあとも意識のはっきりしているケースが多いらしいです。
 つまりは生き埋め。
 迫り来る死をリアルに感じることになるわけで……うう、怖い、怖い。
 スキーヤーの皆さん、気をつけましょうね。立ち入り禁止エリアには、絶対に近づかないこと。降り積もった新雪の上を斜めに横切ると、そこから雪が崩れ落ちる可能性があります。自分一人だけが被害に遭うならまだしも、ほかの人まで巻き込んだら、もう目も当てられませんよ。

 スキー場での雪崩事故は、結構な割合で発生しとります。
 まあそれでも日本国内なら、ゲレンデの整備が行き届いているので、ルールを守って滑っている分には、ほぼ安全なんでしょうけど、海外スキーとなると、整備されていないエリアも多いですし、安全対策も日本ほどは進んでいませんから、雪崩に遭遇する確率もぐんと高くなるでしょう。

 一昨年、ニュージーランド・スキーに出かけたときのお話。
 海外スキーの最大の魅力といえば、やはりヘリスキー。ヘリコプターに乗って、人の手がまったく入ってない雪山に降り立ち、そこから一気に滑り出すという──なんともダイナミックかつスリリングなレジャーです。自然が相手ですから、当然危険も大きくなります。
 ヘリコプターに乗る前に、現地のツアーガイドからあれこれ説明を受けました。

「今日は暖かいので、いつ雪崩が起きてもおかしくありません」
 満面の笑みで説明するガイドさん。
 ……いきなり脅し文句ですか?
「万が一、雪崩で生き埋めになったときのために、これを装着してください」
 そういって手渡されたのは、《雪崩ビーコン》と呼ばれる手のひらサイズの小型無線機。普段は送信モードにしておきますが、誰かが雪崩に埋まったときは受信モードに切り替え、埋没者の発する電波を素早く探し出すわけです。
「これさえ持っていれば安心ですね。壊れてなければの話ですが」
 おいおい。壊れてる可能性もあるのかよ。
「心配はいりません。今から、正常に動くかどうか確認しますから。まあ、たとえ正常に動いたとしても、雪崩のショックで壊れちゃうかもしれませんけどね。あは、あは、あは」
 笑えません。そのジョーク、全然笑えません。
「千が一、雪崩に巻き込まれたら──」
 あの、雪崩に遭遇する可能性が、十倍ほど増えているような気がするんですけど……。
「こうやってしゃべっている間に、ずいぶんと気温が上昇してきましたからね。こりゃあ、いつ雪崩が起こってもおかしくないなあ。あは、あは、あは」
 だから、まったく面白くないってば。
「雪崩に巻き込まれたら、顔の周りを手で覆ってください。そうすれば、呼吸するスペースを確保することができます」
「なるほど。もし雪の中に埋まっても、とりあえず呼吸さえできるようにしておけば、ビーコンから発せられる信号で、すぐに救出してもらえる、と」
「そういうことです」
「だったら、安心だ」
「あ、でも、こーゆー暖かい日に発生するのは、表層雪崩じゃなくって、間違いなく全層雪崩ですから、雪に埋まった瞬間に、全身を押し潰されて即死でしょうねえ。だから、こんな説明をしたって、本当は無駄なんですよ。あはははは」
 あやうくおしっこ漏らしちゃうところでしたよ。ニュージーランダー・ジョークは、気の弱い人には向きません。

 再び、崩壊した書庫のお話に戻りまして。
 地震が起きたわけでもないのに、本棚が倒れるというのはおかしいよなあ。もしかしたら泥棒が侵入して、うっかり本棚に身体をぶつけて……え? じゃあ、この下には泥棒が埋まってたりするのか?
「もしもーし! 大丈夫ですかあ?」
 思わず叫んじゃいましたよ。
 返事がないってことは、ひょっとして気を失ってる? うわあ、もしそうだとしたら、早く掘り出さないと。
 慌てて、隣の部屋へ本を移動させましたが、五十冊ほどで疲れてしまい、
「ま、いいか。死体が埋まってたら、そのうち腐臭でわかるだろうし」
 結局、そのまんまになっちゃいました。

 春になって雪が溶けたら、そこには素敵な腐乱死体~♪ こんにちは、はじめまして。雪崩に遭ったあなたはだあれ? 腐乱したフランソワーズよ。るんるん、らんらん、一緒に踊りましょう~♪ あははは。楽しいな。あはははは(現実逃避モード)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?