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下手の横スキー27

第27回 思いがけない初仕事

 3月某日。
 夢にまで見た合格通知を手にして、これでようやく平穏な日々が訪れるのかと思いきや、まだまだそんなことはなく、翌日は早朝から車を飛ばして、この冬お世話になったスキー学校へと向かいます。

 合格の報告とお礼の言葉を伝えるほかに、実はもうひとつ大きな目的がありました。
 今週末には、クラブ対抗戦が控えています。そう、このエッセイの第3回でも紹介した──毎年、僕がもっとも気合いを入れて望む大会です。

 三年前、「フォーメーションで優勝する!」と高らかに宣言したものの、一昨年はトップを滑ったY君が転倒。昨年は失敗を恐れて構成を単純化してしまったことがマイナス要因となり、優勝はおろか入賞すら逃していました(フォーメーションに関する詳しい説明は第2回を参照)。

 三度目の正直。今年こそはなんとしても優勝してやるぞ! と、めらめら闘志を燃やしていたときに目をつけたのが、同じスキー学校で働いているクラブ員なのでした。

 フォーメーションは、とにかく4人の息がぴったり合っていなくてはなりません。そのためには、ひたすら練習あるのみ。しかし学生ならいざ知らず、社会人4名がたびたび時間を合わせて練習することなんて、ほとんど不可能なんですよね。
 毎年、「今年こそは合宿をするぞ!」と気合いを入れるものの、結局は当日の朝、ちょこちょこっと練習するだけになってしまいます。それでは、優勝なんて夢のまた夢です。
 でも、でも、でも、同じスキー学校で働き、同じ宿舎で寝食を共にしているメンバーだったら、いくらでも練習できるわけで。しかも都合のいいことに、そのスキー学校には、3名のクラブ員が常勤してました。非常勤の僕を含めてちょうど4名。
 ををを、これならなんとかなりそうだ。
 しかもしかも、そのうちの1名は、すさまじいフォーメーション・バトルが繰り広げられる全国学生岩岳スキー大会の参加経験者。フォーメーションのノウハウはばっちり持ってます。これはもしかしたらイケるかも。 2月中旬から、僕が勤務についたときには、空き時間を利用して、ちょこちょこと4人で練習してきました。いよいよ今週末に本番が迫り、今回が最後の調整です。

 そんなわけで、気合いを入れてスキー学校へやって来たのですが──。
「ごめん。常勤チームの研修会があって、みんな、今から出かけるんだ」
「え? えええええ?」
「それでさ、スキー学校に待機するインストラクターの数が足りなくなっちゃったから、くろけんさん、どうぞよろしく」
「ちょ、ちょっと。今日は仕事をするつもりで来たわけじゃ……。それに僕、個人のお客さんを教えたことは、まだ一度もありませんし……」
「大丈夫、大丈夫。今日は客も少ないし、講習依頼に訪れる人はほとんどいないと思うから。じゃあ、よろしく。わはははは」
 高らかに笑いながら、みんなは去っていってしまいました。
 インストラクターが待機するプレハブ小屋は、いつもと違って閑散としています
 どうしよう? どうしよう?
 僕の場合、課外授業でやって来た団体の中学生を教えたことが数回あるだけで、個人のお客さんを教えたことはまだ一度もありません。初心者だったらなんとかなるかもしれませんが、それなりに滑れる人がやって来たら、なにをどう教えていいかさっぱりわからない状態。なによりも、学校の行事でやって来た中学生たちとは違い、「もっとうまくなりたい!」と思ってやって来た人たちですから、完璧な指導が求められます。

 うああああああ。プレッシャーがあああ。

 いや、大丈夫。大丈夫。確かにインストラクターの数は少ないけど、僕まで順番が回ってくることは……。
「Aさん、Bさん、お仕事です。準備をよろしくお願いします」
 あ、あら?
「Cさん、準備してください。お仕事です」
 あれれえ?
 講習を希望するお客さんが訪れるたびに、プレハブ小屋のインストラクターが一人ずつ減っていきます。
 おいおい。講習依頼に訪れる人はほとんどいないと思うって、全然そんなことないぢゃん。こりゃ、確実に僕にも仕事が回ってくるぞ。
 お願いします。どうか初心者の生徒に当たりますように。
 必死で祈り続ける僕。情けない……。
 できれば、二十代前半の可愛いお姉ちゃんがいいなあ。矢田亜希子に似てたら、文句なしなんだけど。
 祈り続けるうちに、希望する範囲がどんどん狭まっていくあたり、さらに情けないです。
「くろけんさん、お仕事です」
 プレハブ小屋の扉が開き、ついに名前を呼ばれてしまいました。
「ど、ど、ど、どんな生徒さんですか?」
「四十代男性。バッジテスト2級程度の中・上級者ですね」
 があああああああああ。中・上級者? 教えられるのか? この僕に教えられるのか?
「これまでずっと、サイドカーブのないスキー板を履いてきた方です。今シーズン初めてカービングスキーを購入したけど、滑り方がよくわからない。だから、ぜひとも気持ちのいいカービングスキーを体験したいとのことです」
 あうあうあうあうあう。
「……教えられますよね?」
 正直、自信はありませんでした。しかしここで断ったら、「指導員のくせして、全然ダメぢゃん」といわれかねません。
「任せてください」
 胸を張って答えましたよ。声は少し震えてましたけど。
「で、生徒さんはどこに?」
「あそこ」
 指差した方向に目をやると、スキー板を履いたまま、ストレッチを続ける男性が一人。ああああああ。ものすごく気合い入ってるよ。しかも、ストレッチを行なう姿が、やけに様になってるぞ。実は、メチャクチャうまかったりするんじゃないのか?
 不安と緊張で、心臓は破裂寸前。しかしこうなったら、腹を据えて頑張るしかありません。
「よろしくお願いします!」
 元気よく挨拶する受講生。
「ど、どうぞよろしく(おどおど)」
 一体どうなることかと思いましたが、自分でも驚いたことに、講習の場に立たされると、結構すらすら言葉が出てくるんですよね。をを。なんか俺、偉そうなことしゃべってるよ。自分じゃないみたい。ってな感じで。
 伝えたいことがあとからあとからあふれ出してきて、さらに受講生の方も熱心に聞いてくださったおかげで、ホント、スムーズに講習を終えることができました。
「最後に、なにか質問はありますか?」
「あの……今日は大回りを中心に教えていただきましたけど、小回りのカービングターンっていうのが一体どういうものか、いまひとつピンとこないんですよね。すみませんが、カービングターンの小回りを見せてもらえますか?」
 げ。
 自信ないよ、そんなの。
「……小回りのカービング?」
「はい。小回りのカービングを、間近で見せてください」
「台所まわりのカビを見せるんじゃダメ?」
「は?」
「カビの大量発生で、かび~ん、大ショック!」
 センスのいい駄洒落でごまかそうとしましたが、うまくいきませんでした(当たり前だ)。
「ひとくちにカービングといっても、ただエッジを立てればいいってもんでもなく、雪面状況に応じて板をずらすことも必要になってくるわけで……」
 必死で言い訳をしたあと、自分なりに精一杯の滑りをしてみせました。どうやら、僕のへなちょこな滑りでも、それなりに参考になったみたいです。
 準指導員という肩書きをもらってから、初めて行なった講習。まだまだ新米なので、ベテランの方には到底かないませんが、しかしこんな僕でも、それなりの指導はできるんだと、ちょっと自信がついた次第。
 講習のあと、僕が教えた練習方法を一生懸命に行なっている受講生の姿を見かけ、思わず目頭が熱くなっちゃいましたよ。この感動があるから、インストラクターはやめられないんですね。

 夕方になって、研修会に出かけていたみんなが戻ってきました。
「お疲れ様でした。さあ、明日こそフォーメーションの練習を頑張りますよ!」
「それがさ、さっき天気予報を見たけど……どうやら明日、大雨らしいぞ」
 ががああああああん。
「どうするんですか、どうするんですか? 大会は明後日ですよ。練習できないじゃありませんかああああっ!」
 苦難の日々は、まだまだ終わりそうにありません。

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