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黒田研二
2021年3月11日 07:20
「ノセトラダムスの大予言」(註:ノセに傍点)は1998年――僕が29歳のときに書いた短編小説です。 その前年に、小説推理新人賞の最終候補に2年連続で選ばれたり、鮎川哲也先生が監修していた『本格推理』(光文社文庫)に初めて自分の作品が掲載されたり、さらにメフィスト賞の応募をきっかけに講談社の編集者さんと打ち合わせをするようになったりと、もしかしたら作家になれるかもしれないと希望を抱き、4年半勤め
2021年3月12日 07:32
1 地球最期の日は、朝からひどく蒸し暑かった。 雲ひとつない青空がどこまでも広がり、凶器と化した太陽の光はじりじりと地上を焦がし続けている。熱せられた空気がそうさせるのか、あるいは軽い熱病にかかってしまったせいなのか、町の風景はゆらゆらと揺らめいて晶彦の目に映った。 自分以外に動くものはなにもなく、ただ蝉の声だけがうるさく響き渡る朝。人類が滅び去る日を、晶彦はそんな風にイメージしていた。
2021年3月13日 07:51
1(承前) 早川亮介。 度の強い眼鏡をかけた色白の少年だった。アルバムの中の彼はむっつりとした表情で、カメラのレンズを睨みつけている。そういえば滅多に笑わない少年だったな、と晶彦は当時のことを懐かしく思い返した。「ノストラダムスが生きていた頃の時代っていうのは、太陰暦が使われていたからな。その頃の七月は今でいう八月に当たるんだよ。つまり恐怖の大王がやって来るのは、一九九九年の八月ってこ
2021年3月14日 11:04
2 車内は比較的空いていた。だが晶彦は座席に腰を下ろそうとはせず、ドアのそばに立って、流れる風景をじっと眺め続けている。 二両目、進行方向に対して左側前方に位置するドアの脇。小学生時代の晶彦が、通学時に決まってたたずんでいた場所だ。電車が今日のように空いていても、あるいはどれだけ混雑していても、彼はその場所を執拗に選んだ。もちろん、それには彼なりの理由があった。 次の停車駅では、毎朝決ま
2021年3月15日 09:46
2(承前) 一度、塾から帰る途中に、ユリの家の前をうろうろと歩き回る亮介の姿を見かけたことがある。亮介は時折立ち止まっては、思いつめた表情で明かりのついた二階を見上げ、大きなため息を吐き出していた。胸の前で強く握り締めていたものは、おそらくラブレターだったのだろう。声をかけてからかってやろうかとも考えたが、すぐに思いとどまった。そんな切ない顔をした亮介を、晶彦はこれまで見たことがなかったから
2021年3月16日 08:42
2(承前)「先生、すごい! すごいよ!」 一番あとにやって来た能勢を振り返り、皆は割れんばかりの拍手を贈った。この事件をきっかけに、能勢の超能力の噂はほかのクラスにまで広まっていった。 それ以後も、能勢は様々な予言を行った。すべてが見事に的中するわけではなく、はずれることも多かった。当たったときには、皆先生に抱きついて彼を賞賛した。 晶彦も、最初の頃は確かに能勢を尊敬していた。彼のこと
2021年3月17日 07:29
2(承前) 能勢のいかさまに気づいた晶彦は、まずそのことを亮介と治樹に打ち明けた。「ソフトボールや水泳大会の結果予想は偶然当たったんだと思う。そのことで超能力者だ、予言者だってみんなに騒がれたもんだから、味をしめたんだよ。ほら、夏休み明けに起こったイヤリングの事件。あれだって先生が隠したんだとしたら、予言なんて簡単にできたわけだしさ」「なるほど、そうだよな。ピーコの話だっておかしいと思っ
2021年3月18日 08:47
3 やがて、晶彦を乗せた電車は目的の駅に到着した。 夏のまぶしい陽射しに目を細めながら、ホームに降り立つ。夏草の懐かしいにおいが鼻腔をくすぐった。「――晶彦」 改札を通り抜けたと同時に、何者かに呼び止められた。顔を上げると見覚えのある人物がひとり、晶彦の前に立っている。顔の下半分に長いひげを生やした、熊のような大男だ。昔よりもいくらかふっくらしたようだが、しかし大きな目やとがった鼻は二
2021年3月19日 07:48
3(承前) なにが起こったのかわけがわからぬといった表情でおたがいに顔を見合わせた亮介と治樹だったが、晶彦に促され掲示板の写真に目をやり、ようやく事態の重要さを悟ったらしい。「ねえ、この写真ってゆうべ僕らが――」 そう呟いた治樹の口を、晶彦は慌てて押さえつけた。「向こうへ行こうぜ」 亮介に顎で指示され、晶彦らはひと気のない裏庭へと足を運んだ。あたりに誰もいないことを確認して、治樹の口
2021年3月20日 07:28
3(承前) 長い抱擁のあと、能勢とユリは二言三言なにやら囁き合い、そして腕を絡めながらビニールハウスを出ていった。ユリは普段の彼女なら絶対に見せないうっとりとした表情で、能勢の肩に自分の頭を乗せている。「おい、どういうことだよ?」 ふたりの姿が完全に消えたことを確認して、まず口を開いたのは亮介だった。「あのふたり、キ、キスしてたぞ。こんな夜中にふたりっきりで……い、一体、どういうことな
2021年3月21日 09:07
3(承前)「おい、どうする、これ?」「公表すれば、間違いなく問題になるだろうな。ひょっとしたら先生、くびになるかもしれない。なにしろ教え子に手を出したわけだから」 晶彦はつい先日テレビのニュースで報道され話題となった「ハレンチ教師」の事件を思い出し、そう答えた。女子中学生を何人もホテルに連れ込んでは関係を迫った中年教師の顔写真を見て、晶彦の母が「ホント、すけべそうな顔。これでこの男の人生
2021年3月22日 07:14
4「能勢先生って、実はそれほど悪い人間じゃなかったかもしれないよね」 裏山に続く小道を歩きながら、ぽつりと治樹が呟いた。「なにいってんだよ? 子供たちから人気を得ることばかり考えていた男だぞ。そのために、でたらめな予言を並べ立ててさ。ほかは冗談ごとですむとしても、イヤリングとピーコの件だけはどうしたって許せない」 口をとがらせて反論した晶彦を、治樹が安らかな目で見下ろす。「今になって
2021年3月23日 06:51
4(承前)「ねえ、場所はここで大丈夫なの?」 治樹が尋ねると、亮介は額ににじんだ汗を拭いながら、「ああ、何度も確認したから間違いない。俺たちがいつも登っていたあのクヌギの木から、真南へ十二歩の場所だったろう? 子供の歩幅で歩いてみたから大きな誤差はないはずだ」「ああ。懐かしいね、あのクヌギ」 治樹は鼻の下をこすりながら声を震わせた。涙もろい性格は今も変わっていないらしい。晶彦もシャベル
2021年3月24日 07:30
4(承前)「実はさ、俺ずっと黙っていたことがあったんだけど」 シャベルを動かす手を止めようとせず、何気ない素振りを装って――でも、明らかにためらいがちに、亮介が口を開いた。「ユリって、本当は能勢のこと、なんとも思ってなかったんじゃないのかな」 晶彦は動きを止めた。掘り出した砂を脇に除ける作業を続けていた治樹も顔を上げる。「いや、それどころかむしろ、能勢を嫌っていたんじゃないかと思って