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黒田研二
2020年9月5日 06:54
皆様、こんにちは。 今回は、僕が高校二年生のときに書いた短編小説を、恥ずかしげもなく(恥ずかしいけど)全文公開したいと思います。 僕の通っていた三重県立桑名高等学校には毎年1回生徒自治会が発行する〈しらうお〉という機関誌がありまして、その冊子に載せる詩やエッセイ、小説などを在校生から募っていました。採用されれば、活字になって掲載され、全生徒に配られます。 それまで下ネタ満載のおちゃらけ
2020年9月6日 07:35
1 オウチヘカエリタイ その声に僕は顔をあげた。 まただ。どこからともなく聞こえてくるいつものあの声。 ……オウチヘカエリタイヨォ 僕は両手で力いっぱい耳を抑えた。 聞きたくなかった。この声は、僕をとても不安にさせる。 しかし、あがいたところで無駄なこともわかっていた。声は直接、僕の頭の中へ飛びこんできて、気が狂いそうになるまで、僕の心を掻き乱していくのだ。 ――やめてくれ!
2020年9月7日 05:13
2 夢を見た。 夢の中で僕は広い――気の遠くなるほど広い部屋にいた。その部屋は、どこまで進んでも終わりがないように思えた。 部屋にはなにも存在しなかった。ただ、僕だけがそこに立っている。 床も壁も天井も真白にベタ塗りされており、その中に存在するのは黒い服を着た僕ひとりのみだった。 ここはどこだ? 僕は不安になった。みんなはどこにいるのだろう? 父さんは? 母さんは? お母さん!
2020年9月8日 07:38
2(承前) 落ちる落ちる落ちる…… 穴の出口が見える。と同時に、激しい吐き気を覚えた。 僕は勢いよく穴から飛び出した。 ……そこは都会だった。 僕の目の前では一人の男が汗にまみれて働いていた。彼の顔は油で真黒に汚れ、とても見られるものではなかった。死んだような表情。単純きわまりない動作。まるでロボットだ。働き続けるだけの機械人形に、僕はとてつもない恐怖を感じた。 彼の思考を覗きこ
2020年9月9日 21:51
2(承前)「ぎゃっ!」 周囲に目を移した僕は、腰をぬかした。僕を中心に、数えきれないほど多くの黒い塊が笑っている。まるで、僕のことを嘲笑しているようだ。「なんだ、これは!?」 ぼくは悲鳴に近い声をあげた。 黒い塊は僕を取り囲み、じりじりとその距離を狭めていく。このままだと、あの塊に封じ込められてしまうかもしれない。「悪夢だ。これは悪い夢に違いない。早く……早く僕を家へ帰してくれ!
2020年9月10日 06:11
3(承前)「幹成、起きなさいよ」 階下から母の声がした。「もう起きてるよ」 僕はそう答えるとベッドから抜け出し、早足で階段を下りた。まだ夢から覚めきっていないような気がしてならなかった。 居間へ行っても、父の姿はなかった。いつものことである。父は仕事しか知らない人間だ。 庭からは母の話し声が聞こえてくる。朝早くから近所の誰かとおしゃべりに興じているらしい。 自慢話。噂話。共通の知
2020年9月11日 07:01
4(承前) 海だ……。 山に囲まれた僕らの町では、そう簡単に海を見ることはできない。実をいうと、海を見るのは生まれて初めてだった。僕が嫌々ながらも旅行についてきた理由はそこにあった。 僕はずっと海に憧れていた。 これが海か。 目頭が熱くなった。涙がこぼれ落ちそうになる。自分でも驚いた。なぜ涙が? ……オウチ二カエリタイヨォ…… 涙を拭っていると、例の声が僕の耳もとで聞こえた。その
2020年9月12日 10:49
4(承前)「き、君は……?」 僕は驚きの表情を隠すことができなかった。 彼女は以前、僕の夢の中に現れた天使と瓜二つの顔を持っていた。「私のこと、覚えていてくれた?」 少女はにこりと笑った。「でも、あれは夢の中の出来事で……」「夢じゃないわ」 少女は語調を強めた。「私の名前は由利。覚えといてね」「由利さん? あ。ぼ、僕の名前は――」「あなたの名前は幹成。そうよね? 幹成さん
2020年9月13日 05:30
5(承前) ――ママが悪かったの。ごめんね、坊や。つらかったでしょうね。苦しかったでしょうね。でも、もう大丈夫。安心して。無理にここで暮らす必要なんてないのよ。「そうなんだ、ママ。僕……こんな世界、嫌だ。ゆがんでる。ゆがんでるよ、この世界は」 いつの間にか僕は生まれたままの姿に戻って、海の中に沈んでいた。 ――怖くないわよ、坊や。さあ、こっちへいらっしゃい。 ママにやさしく抱きしめら
2020年9月14日 08:42
5(承前)「由利さん……」 起き上がろうとしたが、体中のカが抜けてしまったようでどうすることもできない。「まだ起きちゃ駄目よ。幹成さんはここで休んでいて」 由利さんは僕の肩にやさしく触れた。「話?」「そう。あなたのお母さんに話があるの」 由利さんはそう答えると、力強く立ちあがった。 由利さんの姿を見て、息をのむ。旅館で出会ったときのかわいらしい面影はどこにもない。彼女はとても
2020年9月15日 08:49
5(承前) 由利さんは、僕のほうへ向きを変えて言った。「わかったわね、幹成さん。もっと強くならないと。逃げてばかりじゃ駄目。もし、あなたが、今の世界を不満に思うなら、あなた自身が、この世界を作り変えていかなくっちゃ」「君は……」 僕は起きあがると、戸惑いながら由利さんに尋ねた。「君は一体、誰なの?」「私?」 由利さんはくすりと笑うと、右手で髪をかき上げ、僕の目の奥を覗きこみながら