11. キリスト神話の方法(7)もう一人のイエス(上)

題:キリスト神話の方法(7)もう一人のイエス(上)
※この記事は「キリスト神話の方法(4)イエスとカラバス」の続きです。

■もう一人のイエス
 新約聖書の福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)で、イエスという登場人物が、(1)エルサレムの消滅を予告し、(2)エルサレムでローマ政府に拘束され、処刑される話はあまりにも有名です。
 これに似た話が、ヨセフスの『ユダヤ戦記』第6巻に出てきます。登場人物の名前も福音書と同じで、イエス(イエスス)です。

■福音書のイエスの予言
 まず、福音書のイエスによるエルサレムについての予言を読んでみます。

 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
 イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」(マルコ書13:1-4、新共同訳)
 「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを、人びとは見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」(マルコ書13:24-26)

■もう一人のイエスの予言
 もう一人のイエス、『ユダヤ戦記』第6巻のイエスも、エルサレムにふりかかる不運を予言しています。

 戦争が起こる四年前、都が平和と繁栄をとくに謳歌していたときのことである。アナニアスの子イエススと呼ばれるどこにでもいる田舎者が祭にやって来ると――この祭りでは神のために仮庵をつくるのが全ユダヤ人の慣習だった――、神殿の中で、突然、大声で、「東からの声、西からの声、四つの風からの声!エルサレムと聖所を告発する声、花婿と花嫁を告発する声、すべての民を告発する声!」と叫びはじめた。そしてイエススは日夜こう叫びながら、路地という路地を歩いてまわった。(『ユダヤ戦記』6. 300-301、秦剛平訳)

■囚われる福音書のイエス
 福音書では、イエスは神殿関係者たちに狙われ、尋問されます。

 さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕えて殺そうと考えていた。(マルコ書14:1)
 人びとは、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来た。(マルコ書14:53)
 そこで、大祭司は立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった(マルコ書14:60-61)
 一同は、死刑にすべきだと決議した。それから、ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、「言い当ててみろ」と言い始めた。また、下役たちは、イエスを平手で打った。(マルコ書14:64-65)

■囚われるもう一人のイエス 
 もう一人のイエスもやはり、エルサレム市の関係者らに暴力的に尋問されます。

 市民の中のその名の知られた者たちは、これらの不吉な言葉に苛立ち、この者を捕まえると何度も鞭打って懲らしめた。しかしイエススは自分のために弁解するわけでもなく、また自分を鞭打った者たちに密かに解き明かすわけでもなく、それまでと同じように大きな叫び声を上げつづけた。(『ユダヤ戦記』6. 302)

■福音書のローマ総督
 福音書のイエスは、神殿関係者によって尋問された後、ローマ総督ピラトに身柄を引き渡されます。イエスは総督の直接の尋問を受け、総督の恩赦によっていったんは釈放されかけますが、結局、処刑されてしまいます。

 夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。…ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」しかし、イエスはもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。…そこでピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。…群衆はまた叫んだ「十字架につけろ」。ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫びたてた。ピラトは群衆を満足させようと思って、バラ場を釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。(マルコ書15:1-15)

■もう一人のローマ総督
 もう一人のイエスも、エルサレム市関係者らによってローマ総督のもとに送られ、尋問され処罰されます。ただしこちらの総督はピラトではなくアルビノスです。

 そこで指導者たちは、事実そうだったのだが、ダイモニオンか何かに憑かれていると考えて、イエススをローマ総督のもとへ引き出した。彼はそこで骨の髄まで鞭打たれたが、憐れみを乞うわけでも涙を流すわけもなく、ただひどく悲しみに打ち震える調子で、鞭打たれるたびに、「エルサレムに呪いを!」と言った。アルビノスが――彼は総督だった――「いったいお前は何者で、どこからやって来たのだ。何のためにこんなことを口にするのか」と尋問しても、それには答えず、都を呪う言葉を繰り返すだけだった。結局アルビノスは、気が触れていると宣告して男を放免した。(『ユダヤ戦記』6. 303-305)

■まとめ
 福音書のイエスも『ユダヤ戦記』のイエスも、エルサレムの滅亡を予言し、エルサレム市の有力者によって尋問、拷問され、ローマ総督に引き渡され、恩赦をかけられます。しかしその結末は両者の間で違いがあり、福音書のイエスは恩赦が認められず処刑され、他方、『ユダヤ戦記』のイエスは解放され、奇妙な予言を発し続けます。
 この類似はどのように理解したらいいでしょう。

2021/01/22
作:Bangio

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