近況と空っぽの初音ミク(知らない猫がスマホの上でタップダンスをしてたときにたまたまできた文章)
前座(最近思った事、近況)
ぐちゃぐちゃな考えや思いをぐちゃぐちゃだけど美しく楽しく伝えられるのっていいなって思った。曲とか。
何でもかんでも理論づけて整理することできもちよくなっている。モヤモヤした気持ちをモヤモヤしたままなでなでするのも大事なことなのかも、と思い始めた。整理すると失ってしまう感情もあるんだ。
↑文章にはできるけど感覚でピンと来てないかも。
最近手に力が入らなくてペンが握れない。フリック入力が限界かも。元気になりたいね
以下、猫が書いた本文。(知らない猫がスマホの上でタップダンスをしてたときにたまたまできた文章なので私が書いたと思わないでください)
絵を描いてて、もしかしてにゃんは初音ミクが好きじゃないかもしれんと思い始めたにゃん。「初音ミクと人」は好きだけど初音ミクは好きじゃにゃいかも。
にゃーん
だって初音ミクって何考えてるかわからないにゃん。空っぽにゃん。にゃんは何考えてるかわからないものは苦手にゃん。動物とかなら別だけど、でも初音ミクは人の形をしてるのにゃん。
だから人が苦手なのかもしれないにゃん。人の考えって正確にわからにゃいから。恋人に「どんな時に俺から愛されてるって思う?」って聞かれて、答えられなかったのにゃん。にゃー
だってにゃんは恋人自身じゃにゃいのにゃ。自分以外の心なんてわかるわけないのにゃ…「思う?」って聞かれても、判断できるわけないのにゃ。
あれ?
「愛されてるって思う?」ってなんにゃ?そもそも「愛されてる」って思っていいのかにゃ?
目に見えないものを与えられていることを、自分で判断していいのかにゃ?見えてないのに?
もしかして、にゃんが「愛されてるかどうか」って、自分で決めてもいいのかにゃ?相手の私に対する行動から「愛されてるな」って勝手に判断していいのかにゃ?
振り返ってみると、にゃんは勝手に「あの人に嫌われてるんだ」と判断することが多いにゃん。でも「愛されてる」と勝手に判断することはないにゃん。
にゃんだか都合のいい頭してるにゃんね。自己中にゃん。
「嫌われているかも」という保険ばかりかけて相手の好意を受け取ってにゃいんだにゃん。
でも初音ミクは心がないにゃん。何を考えているという軸すらないにゃん。
でも、初音ミクに心を与えて創作する人もいるにゃん。
その初音ミクは鏡だにゃん。歌声で、振る舞いで、言葉で、使役する人の心を写すにゃん。
でも私の初音ミクは空っぽにゃん。
だから私の初音ミクは鏡に映らないにゃん。
そう思えば、もし否定されたときに「あの子は私じゃないから」と思えるのにゃん。
否定されることが怖くて、「空っぽ」であることを保険としているのにゃん。
「初音ミクは空っぽなのが良いんだよ。空っぽだから素敵なんだ」と思っていたわけではないのにゃん。
にゃー
明日の朝顔を洗った時、鏡に初音ミクはきっとうつらないにゃん。
あ!!!猫だ!!!
あーあ、猫を見つけた喜びから出してしまった大声で猫が驚いて逃げちゃった。撫でてあげようと思ったのに。
まあ多分家のどっかにいるから、また見かけたら、今度は驚かせずに、向こうから近づいてくれるのを待とうかな。
電気消して寝るか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?