旅立ち②「イギリスへ」

それは1970年5月のこと。大学を卒業して母校の英語の教師になるはずのわたしに「英語のブラッシュアップでもしたら?」と母親が友人のイギリス人宣教師に勝手に話しを進め、いつの間にか渡英が決まっていた。
イギリスってどこ? それは青天の霹靂!
最も安いチケットだと聞かされ生まれて初めて飛行機に乗り込んだ。香港で乗り換えバンコックまで。今から考えると多分安いのはバンコックからアムステルダムまでのチャーター便だったのではないかと思う。羽田から香港乗り換えバンコクで一泊。そして南回りでアムステルダム到着しそこで一泊。イギリスヒースロー空港まで、2泊3日の旅はホテル代を考えても片道28万円はどう考えても安いとは思えない。空港で母の友人のイギリス人の婦人に迎えられロンドンで一泊して辿り着いたのはイギリス南西部。対岸にウェールスが見えるそれは小さな田舎の村のさらに奥まった敷地にお城のような館がひっそりたたずんでいました。「新しい形の修道院」と表現できるこの館に預けられたかたちである。ほぼ自給自足のこの施設に1年お世話になった。次の1年はケンブリッジの全寮制の神学校で学費を学生食堂のお手伝いで稼いで神学を学んだ。3年目はロンドンのセントポール寺院の前庭にある日系の旅行社での勤務。すべて行き当たりばったりの決断の繰り返しである。この波乱万丈の3年間が今の私を育ててくれたといっても過言ではない。私は自分に向かい合うことに必死で、自分勝手だったと思う。その時のワタシに寄り添ってくれた友人・知人・恩師の力は今振り返ると計り知れない。しかし生きることに必死だったこの3年間で流した涙はその分、いとおしく生涯大切にしたいと思っている。
 
コロナウィルスの感染におびえ、ウクライナ戦争に先行きを見失う昨今、「命、生き様、価値観」などが問われている。53年を振り返って思うことは「私たちは沢山の人に生かされている」ということ、恩返しは「未来に繋げること」だと。もし「絆」というものがあるとしたら、もし「誰かと繋がることができる」なら、私たちは「地球人」として生きていることを伝えたい。何一つ自分の力で生きることのできなかった私をここまで強くしてくれた人が世界中どこにいってもいることを伝えたい!
イギリスでの3年間、そしてドイツの50年がとてもいとおしく、そしてSNSでシェアできること、そう思える今日に感謝!!
 
 

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