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街の記録とタイムラグ

 仕事仲間から勧められてお借りした『竹中直人の恋のバカンス』を見ている。
 竹中直人の鋭利な人間観察と理解力、その情報を整頓してショーとして成立させる構成力、そのイメージを的確に具現化する表現力と運動神経が余すところなく発揮されている。
 ただしこれらはTV番組のショートコントという性質上、その時代の視聴者の感覚を映してしまう。現在では見る側の知識と時間感覚が当時と合致しないため、2000年代生まれの人が見て彼の才気に圧倒される事はあっても、素直に笑えるかは微妙だと思う。
 むしろ自分は映像作品としての資料性に着目した。

 一番最初、「1994年、夏 六本木ヒルズ着工前の六本木6丁目あたり」というキャプションが入って、夏だというのに黒ずくめのとっくりセーターの5人組「とっくり兄弟」のコントがとある公園で展開される。
 終盤で竹中直人のギター弾き語りをバックにはしゃぐとっくり兄弟。「WAVE裏通り」(『WAVE』という音楽ショップが現在の六本木ヒルズにはあって、情報発信基地になっていた)、「東日ビル」(東京日産ビル。シーマが展示されている。現在は業績悪化に伴い日産は当地から撤退している)など、制作当初の意図通り「街の記録」となっている。

 「サラリーマンサスペンス」と題されたシリーズは会社員に扮したビシバシステム(住田隆、布施絵里)と片桐はいりが昼休みに公園のベンチでおしゃべりしていると、竹中直人扮する怪人物が出現して…というコント。
 まず、布施、片桐が女子社員だけが着せられるだっさい制服を着ている。しかも薄ピンク色。今でもあるんですかね。ああいうの。
 そして何より彼らは3人で一つのベンチに座っている。確かに絵面的に見やすいけど、今の公園ではかなり難しい。何故なら「排除ベンチ」だから。(ヘッダー画像は井の頭公園のもの)

 TV放映当時の1994年にはとっくにバブルは弾けていたが、まだ社会的に不景気の実感は薄かったように思う。
 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件(井の頭公園で人体を賽の目にカットしたバラバラ殺人が発生した年でもある)の1995年あたりから雲行きが怪しくなりはじめ、2001年に発足した小泉政権から数値的にも感覚的にも完全に不景気であることが明瞭になってきた。だから彼はあんなに人気があったのだろう。

 話が逸れた。東京の風景の推移を映し出した映画作品をいくつか思い出してみる。

 1980年代後半のバブル期の東京を描いたものとして割り合い名高いのは『・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・』(1988)、知る人ぞ知るのは岡村靖幸主演の『Peach どんなことをしてほしいのぼくに』(1989)であろう。
 前者はKONTA(BARBEE BOYSの男性ボーカル)と古村比呂というキャスティングの時点で時代を感じるが、いやーな上司役の玉置浩二も良い。
 後者はまだ渡辺美里に曲を提供していた頃、キレッキレの岡村ちゃんの雄姿(忘れたくても忘れられない)を瞼に焼き付けることが出来る。
 どちらも、街が色彩とエネルギーに満ちており、画面越しに「何だかわからないけど明日は良い日でたぶん未来は明るい」と国中で大多数の人々が無邪気に思い込んでいた事を瞬間的に理解できる。
 
 そして1990年代の東京を最も鮮やかに映し出したのは『珈琲時光』(2003)ではないかと思う。小津安二郎の生誕100周年記念で台湾の名匠、ホウ・シャオシェン監督が撮った「東京物語」である。
 主演は一青窈だが、フリーライターといってもちょっとのんびりしすぎじゃないかな?思ったり、浅野忠信の古書店はいくら何でも客いなさすぎじゃね?と不安になったり。
 主人公のライフスタイルも決定も、もはや2000年代では許されなくなってきた感がある。
 子持ちのシングルマザー、しかもフリーランスが東京で生活していけるような経済力も行政制度も、そして国民の包容力も、2000年代にはもう自己責任論という呪詛によって解体されていたように思う。(逆に言えば、それを達成した方々はなんと偉大なんだろう)
 台湾から見た日本のイメージと、現在進行形の日本の間に数年のタイムラグがあったのだと思う。
 そしてイメージの分、画面の中の東京では鮮やかでゆったりとした時間が流れ、人は優しい。
 だからあの素晴らしい『珈琲時光』をまたいつかスクリーンで観たい。狂気が日常化した現実から少しの間断絶された環境で、「あの頃の東京」を堪能したいと思ってしまうのは、年長者の度し難い特権なのだろうか。


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