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青空に舞う靴から勇気をもらって

晴れ渡った青空、天高く舞う靴を見ながら私は思った…。
「明日は晴れかな?雨かな?」

小学5年の放課後、クルクルと回りながら落ちてくる靴を目で追いながらワクワクしている自分がそこにはいた。
すると落ちてきた靴は階段の端っこに墜落してあらぬ方向へと飛んで行ってしまった。
ランドセルを投げ捨て、慌ててケンケンをしながら自分の靴の行方を追う。

「うーん、明日はくもり?」

そこで見たのは表でも裏でもない、真横になって寝ている靴だった…。

「おぉー!晴れだぜぇ!」

すると後ろから友達の喜びに満ち溢れた雄たけびが聞こえてきた。
発射していた靴がキレイに表で着陸したらしい。
「靴占い?」というのだろうか。
靴を空高く蹴り上げて、その靴がはける状態で着地したら「晴れ」。逆さまで着地したら「雨」、という単純な占いだ。
私が横たわる靴をはき直してランドセルを取りに戻ると、もうひとりの友達が何度も靴占いをしている姿があった。

「なんで雨ばっかなんだよ…」

どうやら良い結果がでないらしい。
それは最高レアリティが出るまでリセマラを繰り返す、現代のゲームで見る様な光景。
やり直す度に靴の飛距離が短くなり再セットまでの時間が短くなる。
その動きは徐々に洗練されていった。
そして、満足いくまでリセマラを繰り返したその友達は笑顔で下校していった。

「靴占い」誰しもがやった事があるのではないだろうか?
大人になった私達が「占い」と聞くと、詐欺とかインチキとかがどうしても先に頭をよぎってしまう。
しかし、振り返ってみると私の経験した事のある占いは「楽しい」だった。
だけど多くの人の目にふれるテレビ等で見る「占い」はネガティブなものばかりだ。
悪いお金儲けに使われたり、人を洗脳したり、最悪の場合は殺人事件の動機に使われる事もある。
番組を面白くする為に「占い」は悪役として使いやすいのだろう。
結果、テレビで使われる「占い」の一面だけを見て世の中の人達は「怖い」と壁を作ってしまっているのかもしれない。
「占い」に関して私はそこまで詳しくない。
しかし、子供の頃に晴れか雨かでワクワクしたあの経験には間違いなく「楽しい」があった。
こんな小さな占いでも「楽しい」がある。
だったら大きな占いならもっと「楽しい」に決まっている。
きっと私達がまだ知らないだけで「占い」にはポジティブな姿がたくさんあるに違いない。
もう一度言うが私は「占い」に関して全く詳しくない。
占いに対するイメージもどちらかと言えばネガティブだ。
しかし、知りたいと思う気持ち、興味はある。
だけど、それを知るには自分から進んで知らない事に飛び込んで行く勇気が必要なのではないだろうか?

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