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優しさの形

"やさしさ"とは受け手によって感じ方が異なるものだ。
本人が"やさしさ"だと思って起こした行動も、得てして良い方向にいかない事がある。
1つ体験談をお話ししよう。

それは、用事で電車を使い移動しなければならなかった時の話。

その日、満員とは言えないものの、それなりに人がひしめく電車の中でなんとか空いている席へ座り、一息ついている時の事だった。

目の前に腰の曲がったおばあちゃんが現れたのだ。
70代くらいだろうか、眼鏡をかけたおばあちゃんは電車が少し揺れる度に体制を崩してとても辛そうに見えた。
僕は見ているのがいたたまれなくなり、そのおばあちゃんに席を譲ることにした。

「どうぞ、座って下さい」

回りの視線が少し集まる。

それをあえて気にせず、そのおばあちゃんへ席へ座る様に促した。
返事はなく、こちらを覗き込むだけのおばあちゃんだったが、どうやら座る事にしたらしい。
おばあちゃんが席へ座ろうと体制を変えたその時

ガタンッ!

電車が大きく揺れ、おばあちゃんが体制を崩すと同時にかけていた眼鏡が床へ落下した。
衝撃と揺れで眼鏡はそのまま床をスルスルと滑り、つり革に手をかけている1人の乗客の足下へ。

バキッ!

悪い予感が的中した。
足下に眼鏡があると知るはずのないその乗客は眼鏡を踏み抜いてしまったのだ。
焦ってしまった僕は直ぐにその眼鏡を拾いおばあちゃんへ返そうとした。
しかし、おばあちゃんは予想外の言葉を僕に突き付けてきた。

「あんた、それ弁償してくれるんだろうね?」

「えっ?」

僕は突然の事で理解が追いつかず、ただおばあちゃんの方を見て固まってしまった。

「あんたが余計な事をしなきゃ、眼鏡は床に落ちなかったじゃないか、弁償だよ弁償」

どうやら僕が席を譲ろうとしなければこんなことは起きなかっただろと…そう言っているのだ。
確かにそうかもしれないが、まさか優しさで席を譲ろうとしてこんな状況になるなんて誰が想像できただろうか。
見ていた乗客の誰1人としてこうなる事を予測できた者はいないだろう。
しかし結果、眼鏡が壊れて使い物にならなくなってしまった。

「……」

僕は言葉を無くして考え込んでしまった。

「おいくらですか?」

すると、突然後ろから声が響いた。
驚いて振り返り、声の主を見ると30代くらいのスーツを着た男性が立っていた。
よく見ると、先程気が付かず眼鏡を踏んでしまった乗客だ。
おばあちゃんは聞き取れなかったのか、片手を耳に当て「なんだって?」と聞き返す。

「その眼鏡、おいくらですか?」

「ああ、3万だよ3万円」

おばあちゃんの返事を聞くと、その男性は財布から3万円を取り出し、おばあちゃんへ差し出した。

「眼鏡は一緒に買いに行った方がよろしいでしょうか?」

男性がおばあちゃんへそう聞くと「1人でいい!」と返事をして席へ座り、黙り込んでしまった。
それを聞き男性は元いた場所へ戻っていく。

「すいません、ありがとうございます…」

僕はその男性の後を追い、謝罪とお礼を言った。

「別に謝る事ないよ、あれは俺が壊しちゃった物だから、それに君は悪い事はしてないだろう?」

「…ありがとうございます」

ここまでが昔とある電車で経験したお話だ。

本当の"やさしさ"にはきっと責任が伴ってくるのだと僕は思う。
今回の様におばあちゃんに席を譲る優しさの形も間違いではないだろう。
だけど、その先の「「責任が伴った"やさしさ"」」を持つ事はすごく難しい事だ。
もしも他の人なら「弁償しろ」と言われたあの時、どう対応するだろうか?

無視してその場を立ち去る?

逆におばあちゃんに怒る?

誰かに助けを求める?

僕のように黙ってしまう?

すぐに弁償するという答えになることは殆どないだろう。
もちろん弁償することが正しい答えではないかもしれない。
シチュエーションによって対応が変わるかもしれない。

だけど1つ言えるのは、この話で助けてくれた男性は責任が伴った"やさしさ"を持っていたということ。

僕が席を譲ろうとしたことで起きてしまった事故。

言い換えれば、あの男性はそれで眼鏡をたまたま踏んでしまった被害者だ。

僕の行動をあの男性がどこまで見ていたかはわからないが、少なくともおばあちゃんに迫られている僕を見て見ぬふりしていれば3万円というお金を失わずに済んだはずだ…。
そして僕は卑怯だと感じながらもそんな男性の"やさしさ"に甘えてしまった。
僕はこの男性の"やさしさ"にふれて、優しさにも色々な形があることをその日学んだ。

僕もいつかはあの男性のように「「責任が伴った"やさしさ"」」を使いこなせるようになりたいと思う。

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