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ひょっかめ個展 『YOUR FACE HERE』に行ってきた

昔、同人誌企画をやっていた時に、タイトルなど幾らかの設定をこちらから指定して他者に作品を書いてもらう企画をしたことがある。学園ものでこういうキーワードを必ず入れてもらう、などだ。条件を付加することにより、表現を限定させることによって、むしろその作者の表現能力が試される企画だった。
しかしながら、「〇〇してはいけない」など、本当の意味での表現制約ではなく、むしろ条件をプラスすることによって、その作者の新しい表現を引き出すことに魅力があった企画だなと今更思うことはある。制約する企画ではなく、条件を与える企画だったなと。

キン肉マンがバッファローマンと闘った時(悪魔超人編)に、全身に傷を転移されながら、傷のない手のひらと足の裏を使ってロンダートからのドロップキックを見舞ったシーンのように、大幅に制限された中で何ができるかを模索した表現というのは実物なのだが。これこそが削がれた中での戦略である。(バッファローマンは、その際に否定的な言葉を投げかけていたが)

そういう意味で、筆者が先日伺ったひょっかめさんの個展は興味深いものがあった。

ギャラリー前


大田区池上にあるギャラリー『C4R』にて開催されていた、ひょっかめ個展 『YOUR FACE HERE』に赴いてきた。
蒲田駅から歩くと、日本工学院を過ぎて住宅地を突っ切るとたどり着く場所にある。黒を基調としたギャラリースペースである。
夜の住宅地を抜けてきた人間がたどり着く場所としては、なんとも不思議な場所に迷い込んでしまったという印象があった。都内とはいえ、歩く人もまばらなエリア。しかも、細い道が入り組んでいる。
ここは、この世のものか、うつつなのか⁈ それとも、あちらの世界⁈

ギャラリーに入り込むと、既にあのおしるこちゃんの姿がそこにはあった。

パフォーマンス中のおしるこちゃん1
パフォーマンス中のおしるこちゃん2

この日は、約30分ほど、おしるこちゃんによるパフォーマンスが繰り広げられた。それは、無言の即興劇のような雰囲気もある。袋を膨らましたり、膨らましたりゴム手袋でみんなに握手を求めたり、風船で展示物をいじったり。少女が無邪気に遊ぶような振る舞いがそこに繰り広げられていた。

おしるこちゃんは全く喋らないキャラだが、それだけにその仕草によって感情を巧みに表現していて、興味深いパフォーマンスであった。


パフォーマンス後に、展示作品を間近でじっくりと眺めてみた。

吊るされる形で展示されていた
着ぐるみの頭
どれもかわいらしく微笑みかけている
この子が、来場者の中では一番人気だとか
こっちはそばかすが特徴
何かを強く訴えかけているような

これらの作品、見ての通り空中に吊るされる手法で展示されていた。
もちろん、下から中を覗けて、着ぐるみの中がどのようなものかも確認できたのだ。
また、そんなに身長の高い人でなければ、背後に回り込んで自分の頭をマスクと重ねるようにし、その状態で正面から写真を撮ってもらえれば、擬似的にキャラになったような写真が撮れるのだ。

このようにして、
キャラになったような写真が撮れた

(体は筆者)

読者の方々、この写真の撮り方、何かを思い出さないだろうか?

何かに顔を当てはめて撮る。

そう、観光地によく見かける顔はめパネルだ。
どうやら、あの顔はめパネルからこの展示スタイルを着想したらしい。

以下、ひょっかめさん自身がTwitter上でそこに触れていた。

企画声明
タイトルの”Your face here”は”顔をここに入れて”という意味で、観光地などの顔ハメ看板から着想を得ています。
笑顔の少女は、いつも楽しげに愛想を振りまいていますが、決して声を発しません。情報や行動を制限することは必ずしも苦しみや不自由を伴う訳ではなく時に自由をもたらします。また、こんなことを繰り返しているうちに、時々何かに気付いたりすることがあります。

情報や行動が制限せれることにより、逆に自由をもたらす。
興味深い。
着ぐるみの場合、表情や声という表現ができないからこそ(人によっては喋ったりしますが)、その振る舞い、仕草やリアクションによってキャラ性を出しているのだろう。恐らく、中身が変われば全然違うキャラになるに違いない。誰がどういう感性を宿して動くのか。その変貌ぶりは興味深い。
あまりにも自由にやれてしまえると、逆に何をしていいのかわからずにあやふやなキャラ像になるかもしれない。

冒頭で筆者が行った企画の話に触れたが、あれは条件をプラスしていた。プラスすることにより、その作者のスタイルを逆に狭めていたに違いない。
着ぐるみは、喋られない表情を変えられないと削がれていく表現だ。こういう制限された上での表現を繰り出すことでむしろそのスタイルが洗練されて、その人独自の新たな魅力が光り出すのだろう。

そんな制限されたからこその洗練さを垣間見えるのが着ぐるみの存在なのかなと気がつかされる企画であったなと、着ぐるみを擬似的にかぶりながら実感もした夜であった。

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