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<縁は異なもの粋なもの?>Don’t think! Feel JAZZ! 第八回 「〜大海に出るとき〜」

※黒田ナオコ過去コラム公開 2018年6月号のひろたりあん新聞掲載


アーティストがプロになる時は、どんなキッカケだろうか。

どんな世界でも、分かりやすいのは「オーディション」をうけること。これは表玄関だ。当然、倍率が非常に高い。

スカウトもある。例えば、リタイア後の陶芸趣味でも、誰かが目をつけてくれてプロになることもあるだろう。

あとは、売込みだ。自分を売り込む。これが一番勇気がいる。無下に追い返されそうだ。

そして特別枠は、二世であること。親が既に実力者だと、色々とすっ飛ばしてプロからスタートできる。すぐに希望の世界に入る事ができて羨ましいったらない。が、プレッシャーもありそうだ。

私は、どうしてプロのジャズシンガーになったのか、よく尋ねられる。

音大に通ったからと言ってプロになれるわけでもない。けれども、ある時から、この道しかないだろうと思い始める。趣味が、段々と他の事よりも熱心になる。それからがイバラの道になるのだけれど。
前述の、どの道も簡単ではない。

横浜には沢山のジャズクラブがある。
日本一のジャズの街だ。今も舶来の香り高いヨコハマ。

私は、アメリカから帰ってから、横浜でジャズクラブを探して聴きに行ったり、セッションに通ってみたりした。

セッションとは、素人でも参加できる演奏の場。それが売り込みになることもあるけれど、歌う素人は世の中に沢山いる。その中から抜きん出るのは大変そうだ。

そして、お店のマスターやミュージシャンと仲良くなりたい。色々と情報も得られる。それには時間とお金がかかる。しかし出来るだけ通ったものだ。

仮に仲良くなったとしても、プロとして出演できるかというと、永久にできないかも知れない。しかし、とにかく好きなお店に通って覚えてもらう、とか、そんな地道なところから入るしかない。

結局は、意識はしていなかったが、私は、売り込み的なことをやっていたんだなと思う。

売り込み…。
これは好きなことでないと出来ない。
好きでも、ちょっと好き、くらいでは出来ない。
なにかに取り憑かれた、くらいの精神状態にならないと出来ない。
私は、取り憑かれていたんだろう。

ある日、横浜の老舗ジャズクラブで、うちで歌ってもいいよ、と言われた。その時から、私のプロ活動が始まった。それがまた次にも繋がった。そして今は、横浜の殆どの老舗ジャズクラブに出演できるようになった。
もう、アマチュア活動には戻れない。楽しんでいる場合では無い。真剣勝負だ。大海に出たのだから。

自分の努力はどのくらいだったのかも、今となっては定かでないが、努力を苦に思うようではその時点でダメだったと思う。

そう、大海に出てからが本当の始まり。
十年のアマチュアから、プロ一年生のスタートは、果てしなく道のりも長く目標も高くなった。

ジャズの聖地、横浜に住んでいたからこその仕事で、運命的だ。
ほかの地域にいたら違う仕事をしていたかもしれない。

そして今は、ここ横浜が、私のジャズの故郷になった。


イラストは娘rio



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