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劇場版レヴュースタァライト 二回目〜雑感①

 令和三年六月六日 二回目の観劇

 あまりの激情とその熱量に頭を完全に破壊され、一度目の観劇した二十四時間後に、二度目の観劇をしに行く、ということをしました。流石に人生初です。二十四時間、今回の劇場版レヴュースタァライトに己の全てを持っていかれていました。なんて貴重な体験をしてしまったんだろう。友人にも指摘を受けたのですが、これはオタクとして最高の体験、友人の言葉を借りるのであれば『十全』な出来事に出会ってしまったのだと思います。
 今回は頭から最後まで、各場面、レヴューをなぞりながら感想や考えたことなどをメモしていくnoteになります。ネタバレしかございませんので、ご注意ください。
 なお、現在手元に劇場版パンフレットがない状態のため、記憶だけを頼りに書き殴っています。細かい箇所が間違っている可能性がありますがご了承ください。




トマトは何だったのか。

 開幕からトマトの爆発。芸術とはやっぱり爆発しなくちゃ始まらないってことかな! さてこのトマト、真っ赤に熟れた食べごろのトマトだ。破裂したのは華恋の目の前に出現したトマトだ。鳴り響くオーケストラ、もしかしてこれから「天国と地獄」とか「魔笛」が始まっちゃうのか? なお私は音楽に対してほとんど含蓄がない。
 この「トマト」が何だったのか、と問えば、いくつか思い浮かぶものはある。
 ・物理的な「心臓」の比喩
 ・魂、或いは「生命」というものの暗喩
 ・舞台少女から進化するための燃料
 この舞台は、真っ赤に熟れたトマトが爆発するシーンから始まり、随所で登場人物たちがトマトを手に持ち、口に運ぶシーンが見られる。しかしこのトマト、やたらと実というか、果汁が多くないか? 飛び散り方が尋常じゃないだろう。それほどまでに、あの赤い実の中には何かが満ち満ちているのだろうか。
 華恋とひかり以外の七名が参加した<皆殺しのレヴュー>で使われた際も、トマトからはおよそ野菜の果汁とは思えないほどのドロっとしたそれが溢れていた。(まあこれ、血ですよね、見たまま……。)
 また、トマトはキリン(なのか?あれ)から零れ落ちて、彼女たちの手に届けられますよね……。そしてキリンは今作で「私にも役柄が与えられていた」と言い、食べ物、それも調理されたものではなく、原材料としての食べ物の集合体として現れ、燃え上がります。彼女たちの燃料として。
 彼女たちはトマトを口にすることによって、舞台へと上がった。新たな、線路のはるか先へ行くための、最後の舞台に。一〇一回目の舞台に。私としては、まあ、考えた候補の中のどれもがそれっぽいな……というところで、はっきりと答えは出てないのですが。とりあえず今日の感想では、そういった「いのち」に相当する質量のある何か、と捉えておくことにします。舞台少女にとって燃料もまた、「いのち」だろうしなあ。
 余談ですが、トマトにはリンゴ(禁断の果実)に代わる見方をされてきた歴史もあるようです。以下wikiより。

スラブ語の中にはトマトを、「rajčica(rajとは楽園を意味する)」や「paradajz」など、楽園に関連する語で呼ぶ場合もあり、これを禁断の果実だとする地域もある。トマトは新世界からの渡来当初、毒のある実だとみなされていたこともあり、実際に「禁じられた果実」であったことがこの説の傍証ともされている。

「なぜ行ってしまうのか、友よ」

 開幕の「いのちの爆発」が過ぎ去ると、見覚えのある学び舎に場面は移る。高校三年生となった彼女たちは、新入生の指導を行いながらも、自らの進路を定めていくシーン。
 ここね〜マジでみんなの進路希望票を一時停止で観たい!!舞台は止まらないせいで目を皿のようにしても限界があるので円盤待ちです。各々有名な劇団だったり、香子の場合は元々の家業、ななは未だ迷っている、という風に描かれる。みんな自分で決めて、動き出している。そう思わせることが重要なシーンで、華恋は未だに何も決めていない。白紙で出される進路希望。ここはそのまま「希望がない」という意味だろうか?
 そして繋がる『遥かなるエルドラド』の芝居風景。調べてみたら大元のネタとなる伝説があるんですね。以下Wikiより。

エルドラド(El Dorado)
 エル・ドラード - 黄金郷。大航海時代にスペインに伝わったアンデスの奥地に存在するとされた伝説上の土地。語源は16世紀頃まで南米アンデス地方に存在したチブチャ文化(スペイン語版)(ムイスカ文化)における「黄金の人」の意味の言葉。

 この伝説話を元ネタとしたお芝居は、実際に国内でも宝塚などであるそうです。伝説の中身はともかく(本劇ではそこについて言及がなく、台詞のみキーワードとして出てくるため)ここで注目したいのは純那ちゃんと華恋の立ち位置。純那は「大海原」へ出て行く冒険者、つまり「黄金を求める者」で、華恋はそれを留めようとする友だ。

なぜ……
なぜ……
なぜ……
なぜ……
なぜ……
なぜ……
行ってしまうのだ……

 このセリフに続く「友よ」という結びの言葉をななが引き継ぐ。ここ、上手すぎる構成では?と頭を叩いた箇所です…。華恋の「なぜ」も一言目から全部数えて七回言ってた気がするんですけど(六回だったかもしれない…)(6/8追記:やっぱり六回でした)やはりこれは、華恋以外の七名への言葉で、その向こう側にいるのはすでに舞台から降りたひかりがいるんじゃないでしょうか。だからこそ、ななの「友よ」に続く、海原の先へ船を出した「友=ひかり」が「すまない、友よ」と続ける。
 そもそも今回、ばななの立ち位置って、完全に「裏方」だと思ったんですよね。彼女はすでに「脚本家」から降りてる(アニメ本編)し、進路希望にも出したように、未だ演者としての道と、裏方としての道を迷っている。ばななは九人の中でも特殊な配役のせいで、今回もまた特殊な、裏方から演者を支え、背中を押し、誘導し、ひいてはそれを観客(=我々)に見せるメタ的な役割を負っているように見えてならない。「友よ」の言葉は、かつてばななが再演の中で願ってきたものの一つであり、また言葉にし続けてきたものなのではないだろうか……。

大嫌いよ、『スタァライト』なんて

 アニメ本編9話において、ばななが放った台詞。彼女にとって再演の意義とは、己の孤独からの解放であり、「宝石のようにきらめく舞台」を体感することであり(正確にはこれを超える光の創造だと思うんですが)、訪れると分かりきっている絶望から愛する仲間たちの目を閉じさせるということでした。
 しかしばななもまた、本編からの再生産を果たし、停滞を越え、今にいます。またこの「今」っていうのが絶妙なところですけど……ななには、この華恋の陥った絶望感、根拠のない「なぜ」という子供じみた悲痛を最も理解しうる人物だったのではないでしょうか。
 いや〜〜〜しかし純那ちゃんのお団子可愛いし、華恋のポニテが今回新鮮すぎてめちゃくちゃ良かったんですけど 全編通して言えるけどいろんな格好していろんな髪型していろんな表情と声を見せてくれたのが最高に最高でしたよね今作は……。

ランドリーと5月14日

演者さんたちが感想会でも仰っておられましたが、今回は彼女たちの生活している場面が観れたのも大変嬉しかったです。洗濯機回してるんだ! ランドリールームがあるんだ! 大興奮ですよね……。
 まひるとクロ子の口から語られる「卒業」のキーワード。彼女たちはそれぞれ進路を決め、そこへ向かって歩き出そうとしています。しかし、この言葉が示す中に、私は当たり前の寂しさのようなものを感じてしまって、漠然と、彼女たちが過ごす残りの「舞台少女としての日々」を惜しむような、そんな気配すら感じたのです。というのも、香子が口を開き、皆に問い詰め、そして最後にななが「みんな、喋りすぎだよね」と締める、やはりこの流れがあったからだと思います。
 一番スマートに、「襲名にいい時期だから」「この学園で学びたいことは学んだ」と言い切った香子が、最もこの5月14日、オーディションが開催された日にこだわっていた。彼女はきちんとプライドの高い、美意識と研鑽意欲のある舞台少女ですし、何より後々のシーンでぶつけられる双葉との関係もあって、七人の中で最も叫びたい理由があったのでしょう。やりたいことを見つけた、それはいい。進む道を決めた、それもいい。けれど、それでいいのか。選ばれなかったという過去を忘れたのか、捨てたのか、諦めたのか。
 これってやっぱり、香子も形は違うんですけど今この時の、舞台少女でいる己の在り方を惜しんでいる。彼女はまだ、舞台少女なんですよね。今この時にこだわっている。卒業すると決まっているだけで、卒業できてないんです。これはやっぱり、なな含む全員がそうだと言えるんじゃないかな……と思いました。
 香子自身も、きっとそういう己に気づいている。「しょうもな」。この一言がそれを表していて、しょうもないことにこだわっていると気づいている。
 そしてこの「卒業できていない」、つまりまだ「舞台少女であろうとする」彼女たちの在り方を見たななが、<皆殺しのレヴュー>という恐怖極まりないレヴューの断行をしたのではないか……。

<皆殺しのレヴュー>

だから、オーディションじゃないって

 大場なな独壇場のレヴュー。一回目の時は衝撃が強すぎて、もう何も言葉が出なかったレヴューです。本当に。髪をかきあげるなな、攻め度高すぎませんか??? 殺されるのかと思った(みんな殺されて笑えなくて笑っちゃった)
 電車の中ではしゃぎながら観劇へ向かっていたはずなのに、突如としてそこが舞台へと変わる。二度目に気づいたんですけど、ななと華恋も、みんなと並んで話をしてたんですよね。ただし、二人で。
 ここで話していた組分けは、華恋&なな、クロ子&純那、真矢様&まひる&双葉、香子単体。和やかに舞台のことを話していたのに、華恋のスマホ画面いっぱいにキリンのロゴが現れたと思った次の瞬間、場が完全に舞台へと変化する。めちゃくちゃ怖かった。本当に、めちゃくちゃ、怖かった……。
 用意された場は二つ。一つはポジションゼロに立つななの場(これはポジションゼロである以上、一人しか立てない場所なのでしょう)と、華恋を除いた他六名が立つ場。ワイルドスクリーンバロック、<皆殺しのレヴュー>。あの激しいレヴュー曲、駆け抜ける電車の上、並走する舞台機構、という頭がパンクしそうな舞台の上で、彼女たちは役柄も台詞も分からないまま演じ始めることになったわけですよね……。
 私が着目したいのは、ななに対する香子、純那、そして真矢様の三名。
 香子は真っ先に星を落とされる。最も先に声をあげ、オーディションに選ばれなかったことを悔い、かつ新たに用意された舞台をオーディションだと叫んだ彼女が、真っ先に殺される。怖すぎるでしょ……。
 そして純那ちゃん。純那ちゃんは最初から最後まで、このレヴュー上で純那ちゃんのままだった。ななに対する台詞を何も返していない。だから、衝撃的な画として「首を落とされた」。なな、過激だなあ(笑)後々のじゅんなななレヴューでも首落とそうとしてんですよね最初に……口上でななの心境は全て語られてると思うのでここには書きませんが、まあそういうことなのだろう……。醜い姿を晒すな、みたいな。クロディーヌに告げた「喋りすぎ」も、「私語が多い」に近いニュアンスなのかな、なんて思ったりしました。
 そんな、舞台を演じられなかった純那ちゃんに対して、ななにきちんと台詞を返していたのは真矢様一人だけ。流石……としか言いようがないあざやかさ。ここで星を飛ばされたなかったのも真矢様だけだし、つまりこの時点で真矢様は他のみんなより一歩先に「列車の行く先」を見ている、ということなのかもしれない。あくまでも一歩先、というだけなんだけど。じゃなきゃ、ななが最後に「私たち、もう死んでるよ」とは言わないと思うんですよね。「たち」なので、当然自分も含んでいる。こういうところがななの特殊配役だな〜ってついつい思っちゃうところ。
 そういえば、ななの立つポジションゼロから見て六人が対面に並ぶ、あの立ち位置はポジションゼロに近い順なのかなって思いました。つまり、香子がポジションゼロに一番遠くて、双葉・まひる→純那→クロ子・真矢様と続く。ばななの強さを見せつけられたし、なんていうか、再演を終えてもなおの状況下で、やっぱり単純な実力差だけで見たらななが一番なのかな、と感じました。キリンの言うオーディション、舞台少女のきらめきを賭けた戦いは、舞台少女に必要とされるあらゆる技術や熱量、きらめきの量が勝敗を決するものですが、ばななのこれは「オーディションではない」。まあだからこそ、なのかもしれないけど、ここでは誰も、ななには勝てない。そういう仕組みだったのかなあ…。

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