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小倉お城まつり2023を振り返ると思いきや細川鬼蛇夫婦の話をするだけ

 秋晴れの10月、毎週末に渡って行われた「小倉お城まつり」。2023年は北九州市政60周年に併せ、感染症への対応が第五類へと移ってからの、本格的に大々的なイベントが組まれたスケジュールだったと一客ながら感じました。私も日々の仕事が一番忙しい時期で、毎週末の小倉通いは流石になかなかしんどいところもありましたが、やはり訪れるたび、あの敷地で過ごすたびに元気をもらえる気がして、行ってしまうんですよね。

 今日の記事はそんな小倉お城まつり、その中でも現在、私が絶賛応援中である「小倉城武将隊」さんの演目を毎週末見る中で撮った写真を振り返っていきたいと思います。しかも細川をね。細川の鬼蛇夫婦をね!

便宜上、今回は鬼蛇の写真がメインです。これはラストシーンより。

 いい響きです、「鬼蛇」。
 こんなに細川忠興と細川玉子(ガラシャ)を表す言葉、ある? 反語。由来を考えると普通に藪蛇というか、地雷コマンドのようにも思えますが、細川忠興と細川玉子の関係性とかお互いへの印象値を言語化した時に出されたのがこの「鬼」と「蛇」なんですから、もう公式だろこんなのは……こんなの公式が、いや歴史が生み出した最強CP名みたいなもんですよ!

 東に細川があれば向かい、西に細川があれば訪れ、海を越えた向こうにだってありゃ行きますよ、それが精神を細川家にささげた者のやる気です。つまり私です。心臓を捧げよ!

2023.10.7 小倉城ものがたり「細川忠興列伝」より。

 思えば戦国~室町時代っていうのは御恩と奉公、貰えるもんを貰えるから頑張りますっていう時代だったわけですね。貰えるもんが貰えない、益がない、見返りがない……いろんな事情や条件によっては下剋上だったり、同盟をブッチしたりあったわけで、でもそれって現代も大して変わらないんじゃ? と私などは思うわけです。まあ日本人に限りませんが人情や同情や、果てや気分によって味方したり離れたりすることがあったんだろうなあ、というのは国中に残る逸話、文献、研究論文もろもろをかじっていると、フィクションだろうがノンフィクションだろうが「あったんだろうなあ」と感じられます。あくまで私は、ですが、ともかく価値観の差異はあれど、日本という狭い国で過ごして同じ言葉を操ってきた人間の感性や感情の動き方は、そうそう違いないのでは? と。なんの話???

この表情!この……ッ!一年前に比べてめちゃくちゃにレベルアップした箇所だと感じました。演じられているのは桜田麻未さん。

 鬼蛇夫婦の話に戻ります。鬼蛇夫婦の運命は、ある一面から見れば悲劇であり、またある一面から見れば滑稽で皮肉な恋愛物語のようであり……。誰が、どう見るかでこの二人の関係性は変わります。だからこそ、これまで多くの人々に描かれ、「運命」と呼べるような物語性に惹かれてきた。今年の一月に亡くなられた女流歴史作家の、故・永井路子先生も細川忠興と、その妻である玉子(ガラシャ)を描いた方のおひとりでした。
 仏教思想が浸透し、また寺院という場所が強く力を持っていた時代に入り込み、瞬く間に広まったキリスト教の考え方。人々思想の種類が増え、大きく揺れ動いた時期の二人だからこそ、「運命」という言葉が似合うのかもしれません。仏教の考え方は基本が輪廻転生でしょうから、キリスト教で言うところの「神の身許へ行く」という考えとは全く違いますよね。私は宗教論者じゃないし宗教を持ってないのであまり詳しいことは言えませんが、ひとつの題材として、歴史の中にあった幾多の夫婦像を見比べた時、この二人の在り方はやっぱり「運命的」だと思ってしまいます。でもこれがあらかじめ決まっていたことだとするなら、それはそれで、あまりにも悲しい。

追いかけようと手を伸ばした時にはもう遅い現実、
失ったけれど前を向かなければいけない現実。

 小倉城武将隊の最初の演目が、この「細川忠興列伝」でした。
 細川忠興公と、切っても切り離せない物語の一つが、彼の妻である玉子(ガラシャ)であり、彼の前半生を物語る上でやはり欠かせない人物でした。小倉の地で、その物語を作る。その物語を演じる。言葉、表情、体の動き。単なるセリフだけではなく、舞台の上で表現しきる様々な方法で、この夫婦の物語を作ってくれました。泣くほど嬉しかったのは去年の記事で既に述べた通りですが、その感動を常にアップデートしながら届けてくれる隊の皆さんに、再び感謝しかなかったのが今回のお祭りでの公演でした。

 私は、私たちは現代の人間ですから、当時の人々ときっと価値観が違うでしょう。「結婚」というものから「家のために他家と結ぶ」いう価値が抜け落ちて久しいように考えていますが、かく言う私自身にも自分の人生に「家と家を繋ぐ」意識なんてものはありません。この夫婦はどうだったでしょうか。彼等の繋がりは、父親同士の同盟、更に言えばその上にいる上司・織田信長の意向もあって、互いが治める領地や軍力強化の一助として与えられた結婚でした。整えられた夫婦であり、でもそれは多分ですが、あの時代ではなんら珍しいことではなかった。事実を客観的に見るなら、彼らは子どもに恵まれ、家を存続させるという役割をしっかり果たした武家の人間たちだったわけです。私たちは、そのありふれた、武家の夫婦である二人にどのようなストーリーを持たせるのでしょうか。資料の上から見える無機質な事実に、どのような色を乗せて絵にしていくのでしょう。

丁度一年前、2022年10月のお二人。

 私は独学で歴史学を調べる傍らで、小説を書いてきた人間です。小説、つまりフィクションの中に居続けることが最善だと思って、「歴史」に接してきました。書かれていないことを想像し、描いて、こうだったらいいなという自分の願望を反映させて物語を作ってきた人間です。それが正しいか正しくないか、は大して問題ではなく(都度言うんですが、私は「学者」じゃなくて「小説家」なので……)ただ、私は「細川忠興」を追い求める人間の一人として、常に、絶対的に、彼に対して真剣に向き合っていたいと思うのです。歴史学者の先生たちや創作許さねえ勢にはあり得ないことかもしれませんが……。450年以上前の人々のことで、こんなに一生懸命になれるんですから、やらない手はないと思っちゃうわけです。

 小倉城武将隊の演目は、この「細川忠興列伝」に限りません。どのお話でも、舞台を作るみんなが真摯に「歴史」と向き合っていることが分かる。
あの瞬間、舞台の前で、椅子に座って、じっとしているだけのこちらに伝わるものが、言い切れないほどにある。紙に書かれた無機質な「史実」よりも、強い今の衝撃として与えられるものがある。生のお芝居の良さって、こういうところにあるのかなって思います。勿論、紙に書かれた無機質な史実が悪いってんじゃいですよ、それはそれで大事なんです。
 表現というスタイルの、芝居という分野で、こんな風に見せてくれることが本当にすごくて、言葉にならないんです。

 小倉城武将隊だから描き出せる、細川鬼蛇夫婦の姿。あり方、と言っても良いと思います。これからも大勢の方が、小倉城武将隊のお芝居を見てくれることを願います。その機会に恵まれ、できることなら細川家が、細川忠興が、細川夫婦がもっと知られていきますように。

 ひたすら自分の考えを書き連ねるという、なかなか気持ち悪いオタクになっているので筆を置きます。次はもう少し真面目に、静かに、振り返り写真をお送りします。

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