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熊本旅行記録~細川家所縁めぐり①~

この9月から怒涛の旅行が続く。(正確には7月から広島、金沢と足を運んでいたわけだけど)それも九州ばかり、でも九州が好きだから仕方ない。今年は本当に旅行貧乏だけど幸せな貧乏です。得るものも大変多い。これを書いている9/24現在も、つい昨日鹿児島から帰ってきたばかりで、せっかく付けている旅記録がどんどん溜まっていってやばい!と思い、慌ててキーボードに向かっている。ざっくりと思い返してみたいと思います。

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9月14日。早朝の良い空!飛行機の下に雲海が広がる様が好きです。

旅程は三日間。三日目は、先の記録で書いた福岡市博物館で開催されている『侍展』が目的だったのですが、それより前に熊本をエンジョイしておりました。
羽田から熊本まで。友人と待ち合わせ時間は熊本駅周辺に午前10時頃。6時25分羽田発のJALに乗る。早い!でも8時過ぎには熊本に到着してしまうのだから、飛行機ってやっぱりすごい。一時間半なんて、飛行機でちょっとうたた寝したらすぐだもの。

今回はここ一年ほどネットで追いかけている熊本城おもてなし武将隊に会うこと、復興途中の熊本城や周辺の観光スポット(主に細川家ゆかりの場所)へ行くこと、大きくはこの二つを目的にしていました。幸いにも福岡に在住している友人が付き合ってくれることになったので一緒に観光することに。彼女は前々から「おもてなし武将隊」というものに対して心得があったので、私としては心強い限り!
当初は武将隊のホームページに記載されている「おもてなし時間帯」に合わせて、熊本城の麓にある桜の馬場 城彩苑へ行くつもりでした。しかしこの日、私の推しである細川忠興公と松井興長殿は参戦しておらず……ウッ(※仙台で開催された別の催し物へ遠征に行かれていた)諦めきれない私はしつこくホームページを閲覧していました。その時目に入ったSAKURA MACHI Kumamoto(サクラマチ クマモト)のグランドオープンに合わせた演舞開催の文字。その名も『【イベント】SAKURA MACHI Kumamotoオープン「躍動くまもと祭」』。

私「これはいつもやってるおもてなしの時間帯と違う……別で演舞するってこと……? これはどこ……?」

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私「調べたらめちゃくちゃ近いやんかこれはハシゴ出来るのでは???」

そんなわけで、オープン初日のサクラマチに行ってきちゃいました。奥の高いガラス張りの建物が店舗です。でかい!!そして写真には写ってませんが、もうめちゃくちゃに人が多かった。(これは丁度路面電車を撮ったので人の姿が見えない)
熊本に来るのは実に三年ぶり! ということもあって、このあたり何もなかったのに、ものすごく開けたショッピング街になっていてめちゃくちゃ吃驚しました。全面工事中みたいだったのに……!

なおこの辺の詳しいことは、ツイッターでマンガレポしてみましたので興味ある方はどうぞ→リンク

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写真が荒くてごめんなさい! 携帯画像の限界!
熊本城おもてなし武将隊、この日のオープニングセレモニーに駆けつけてくださったのは左から小西行長様、加藤清正公、黒田官兵衛様の三人! うわ~~~~本物だよ~~~!!! と大興奮して感激の私……声が良い……演舞がかっこいい。行長様の足が長すぎてジャンプしてぶん回すのが格好良すぎる。三者三様に本当にかっこいい。ア゛~~~良いもの見た……

という具合に語彙のないオタクを発揮してみたりしつつ。
お昼は城彩苑に移動して、海鮮丼とウニコロッケを食べました。ウニコロッケ大好き!!

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それから城彩苑にあるわくわく座へ行き、施設をエンジョイ。

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レゴで作った熊本城。なん……だと……世の中には変態がいますね本当に(最大級の褒め)わ、私もビルダーズ2で熊本城みたいなものを作ってるんですけど途中で放り投げてるから再開したくなる~!!!

加藤清正公の像
虎を担いで勇ましい! 朝鮮で狩った虎かな……?(笑)

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お次は細川忠興公の甲冑一式。その名も『山鳥尾頭立兜黒糸威二枚胴具足』! 兜の形がヘルメット型の「越中図形(えっちゅうずなり)」で頂上には山鳥の尾の立て物を挿しているのが特徴的。前の記録でも書いた立花宗茂公と並んで鳥の尾兜で大好き~! 忠興公はデザインセンス抜群の戦国大名として有名で、家臣たちからもこの兜や甲冑が大変人気だったそうなんですけど、立花公は逆にあまりウケてなかったとか、なんとか……(笑)

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このお馬ちゃんは実際にまたがる事もできちゃいます。

城彩苑を楽しんだ後は、夕方のおもてなし時間まで少しあったので、目的地の一つだった水前寺成趣園まで行くことに。
熊本城前のバス停から水前寺公園前まで向かいます。嬉しいことにこの連休はお天気が非常に良かった……!! 9月半ばだというのに真夏のような暑さ。散策にはもってこいの日和でした。公園に入る手前の河川を何気なく見てみますと、めちゃくちゃ水が綺麗
あとで調べたところによると、熊本って水道水源の全てを地下水で賄っているんですね……その物凄い水がどうしてあるのか、というルーツは清正公の時代まで遡れるとか。めちゃくちゃ良い治世してる……。今回は行く先々で、こういった綺麗な水に感動する旅でもありました。

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水前寺成趣園公式ホームページ
こちらは肥後国初代藩主である細川忠利公(忠興公の三男)が気に入られた土地に、三代目藩主である綱利公が大々的な庭園を造ったことが始まりです。まさに細川家御用達の大名庭園!

入館料を支払い、いざ! この安すぎる料金にびびる事になろうとは、まだ私は知らないのであった……。

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広すぎるし綺麗すぎるし水が綺麗すぎるしヤバイ。語彙も消えるわ!

この池の面積は10,000平方メートル。池の中の飛石と清冽な水に浮かぶ松の影。御祭神細川網利公は特に成趣園の風景を気に入られ、成趣園十景を作られた。山水の美を取り入れたこの神苑の風景は、春夏秋冬それぞれの趣に富んでいる。
(公式ホームページより)

この広大なお庭を歩くだけで、東海道を歩いているような景色が楽しめるのだそうです。大名、やることが違う。写真左奥に見える小高い丘が、富士山を模した山で、神苑内で最も高い所。その裏側には水前寺成趣園造営を手がけられた初代肥後藩主・細川忠利公の銅像と、細川家の礎を築いた細川幽斎公の銅像が並んで建っています。(ちなみに、題字碑文は御祭神の末裔細川護貞氏の筆なんだとか……)

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園内に建つ出水神社の手水場に掲げられた幽斎公の歌。

御祭神の初代細川幽斎公は御陽成天皇の弟八条宮(桂宮)智仁(としひと)親王の古今和歌の師であり、学問に秀でられ、また産業振興にも力を尽され、御神徳を慕ばれている。このお社には歴代の藩主14柱とガラシャ夫人が奉祀されている。

もちろんここにも御参りして来ました! 無事に細川家めぐりが熊本で叶ったことと、旅が無事に終わることを祈って……(*´人`*)

園内をぐるっと散策した終わりには、京都から移築されてきた『古今伝授の間』にてお茶を頂いてきました! あまりにも暑かったので冷やしお抹茶と冷たそうなお茶菓子をチョイス。そして通されたこの間。後ろには伝授の空間が広がり、正面には素晴らしい東海道(を模した)が広がり……な、なんて贅沢……すごい空間……今私はどこにいるんだ……(古今伝授の間です)

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金沢行った時の茶道体験がだいぶ効いてる私なんですけど、お茶始めたい意欲が高まっていて、こんなお茶碗出されてしまったら余計に足をバタバタして盛り上がってしまいますわ!(バタバタはしませんでしたけど……)

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九曜紋入ってる~!!!ちなみに1万2千円ちょっとで買えるようでした。本格的にお茶を始めたら……絶対手に入れるからな……!!!

水前寺を満喫した後は、再び熊本城の麓にある城彩苑へ。夕方のおもてなしがこの日は三連休だったこともあって特別な催しに変更しており、日があるうちは園内を歩く武将隊の皆様とお話したりお写真を撮らせていただいたり、日が暮れてからは改めて演舞とトークを拝見しました。やっぱり演舞がめちゃくちゃかっこいい……!!

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何もかもが長い行長様(?)快くポーズを取ってくださる……ありがとうございました……!!!

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演舞、生で観れて感激しました! 今度は是非、細川主従がいらっしゃるときに行ってみたいものです……目の前にしたら倒れる自信があるんですけど……。

こんな感じで、三年ぶりとなる熊本一日目、あっという間に過ぎていきました。付き合ってくれた友人にも感謝。充実した時間がそのまま身体に満ちたような、素敵な日でした。

二日目に続く!


以下、旅行には関係ない余談。
この旅行の前の週に、関東を台風15号が通過した。実を言うと、鉄塔が倒れてすごい騒ぎになっていたあたりが地元で、両親と三日ほど連絡が取れない日が続いていた。ニュースでは電気や水道が止まっていて完全な被災地化してしまったと聞き、出来ることなら駆けつけたかったけれど、電車が止まってしまっていたのでそれも出来ずじまい。……完全に千葉の半ばから南へは道が途絶えていた。無事かどうか、一言でいいからなにかないか、せめてLINEに既読マークがついてくれれば良い、などと思いながら何度か連絡をしていた。我が家には犬が三匹いて、丁度猛暑のような暑さがぶり返したのもあり非常に不安だった。(フェーン現象というやつらしいですね)やっと連絡がついたのは旅行に出かける二日前。朝七時頃、母から連絡があり話をすることが出来た。幸いにも我が家の地域は復旧が週半ばのうちに叶い、犬たちも少し疲れているが無事ということだった。
だから、というわけではないけど旅行に行けた。安否も分からず、どうすることも出来ないままだったらこんなに楽しい旅行に行くことも出来なかった。本当に怖かった。突然家族全員が消えたらどうしようなんて、本気でそういうところまで考えてしまった。
災害は人の手でどうすることも出来ない。起こってしまった出来事に対して、今なお懸命に尽力してくださっている人々がいる。私自身は直接被災はしなかったけれど、ごく身近なところで起きた出来事として、心に留めておきたいことだなと思った。

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