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「成医会講習所跡 東京慈恵会医科大学発祥之地」

東大・陸軍のドイツ風医学と対抗したイギリス流

★ジャンル【学校】
★場所 中央区銀座4-4-1
★最寄駅 東京メトロ銀座線銀座駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治十四年男爵高木兼寛英国医学教授ノ目的ヲモッテコノ地ニ成医会講習所ヲ開設ス コレ東京慈恵会医科大学ノ濫觴ナリ。創立百年ヲ記念シコノ碑ヲ建ツ。」

★解説
 銀座三丁目交差点をアップルストアとフルラの間の松屋通りに入り、ガス灯通りを越えた左側歩道の植え込み脇にあります。うっかりすると見逃します。
 慈恵医大は、1881年(明治14年)5月1日、海軍軍医の高木兼寛(たかき かねひろ)が、東京府京橋区鎗屋町11番地にあった、東京医学会社の2階大広間に開いた成医会講習所がその源流です。東京医学会社は大学東校(東京大学医学部の前身)教授だった松山棟庵(まつやま とうあん)が1875年に設立したものです。「会社」との名ですが、これは日本医師会に連なる医師団体の最初期のものです。松山は高木と協力して慈恵病院の設立・発展に尽力します。
 薩摩藩出身の高木は幕末から軍医として活躍し、維新後は海軍軍医になります。指導していたイギリス人教授に認められ、聖トーマス病院医学校(現キングス・カレッジ・ロンドン)に1875年から1880年まで留学します。この間最優秀学生の表彰を受けました。
 帰国後海軍軍医に復帰し、まもなく東京海軍病院長門なるなどその中枢を

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