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「日大三中・三高跡地碑」

創立年の前に40年近い前身

★ジャンル【学校】
★場所 港区赤坂6−5−30
★最寄駅 東京メトロ千代田線赤坂駅

これまでの東京23区発祥の地一覧

★碑文
「ここは昭和四年に創立された日大三中・三高の発祥の地である。教育環境の変化に伴い、昭和五十一年四月 町田市に移転した。されど、この地に思いを残しこの碑を建てる。」

★解説
 現在は建設会社の鹿島がある敷地です。
 「昭和四年に創立」とありますが、実はその以前にかなり長い前身があります。
 そもそもの始まりは1891年(明治24年)です。現在の一橋大学に当たる高等商業学校に入学するための予備学校として、高等商業学校校長の矢野二郎(やの じろう)が、大手町に高等商業学校予備門を開設します。番地は1丁目1番地。現在の大手町ファーストスクエアWESTのあたりで、千代田区編で紹介した日本歯科大もこのあたりで創立しています。予備門の校舎を借りたのかもしれません。
 この学校の後身として1893年(明治26年)に、私立商工中学校ができます。高商進学と合わせ、東京高等工業学校(今の東工大)進学を目指す生徒が通いました。しかし周囲は官庁街、オフィス街となり、さらにおそらく街区整理の関係で、1917年(大正6年)この赤坂に移転し、私立赤坂中学校となります。その敷地は中ノ町小学校の跡地でした。
 中ノ町小学校は移転して檜町小学校となり、今は統廃合で赤坂小学校(場所は旧檜町小学校の敷地)になっていますが、近くには併設されていた中之町幼稚園が残っています。
 しかしせっかく移転しましたが経営は思わしくなく、日大三高が創立の年

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