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「京西学校発祥之地」(京西小学校創立地)

伊藤博文揮毫の碑

★ジャンル【学校】
★場所 世田谷区玉川台1-5-10
★最寄駅 東急田園都市線用賀駅

★碑文
特になし

★解説
 用賀駅の南口で地上に出ます。旧大山街道を南に、二子玉川方面に向かいます。首都高をくぐりしばらく歩くと三叉路の角にお地蔵さんがいて、左側の道のクリーニング店前に碑があります。面面には「京西学校」、裏面には「京西学校発祥之地」と書かれています。
 京西小学校は1879年12月10日、瀬田村、用賀村の両村が共同で創立しました。このため両村の境界に近い場所に建てられています。開校当初は教師2名、児童数66名だったそうです。敷地は300坪で校舎は教室と職員室が一つずつで50坪でした。
 その後誕生する旧玉川村地域では、玉川小学校の次に古い小学校で、八幡小学校もほぼ同時期の開校です。
 そして校名はなんとのちの総理大臣、伊藤博文の命名で、碑の文字も伊藤の揮毫です。これは用賀村の実業家に伊藤の知り合いがおり、そのつてで依頼したとのことです。名前の由来は「東京の西だから」。いやいっぱいあると思うのですが・・・。
 しかしこの学校、なんと開校の翌年に暴風雨で倒壊し、初代の校長が殉職したそうです。このため一時仮校舎を用賀駅近くの真福寺というお寺に設けました。その後1939年に現校地に移転します。
 現在の校庭には、100周年の際に建てた記念碑があり、そこには以上のような学校の由来も書かれています。またこの碑の場所から北東に入った路地にも 「旧京西小学校跡」という小さな碑が建っています。

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