栄一! 感動をありがとう!---23区渋沢栄一ゆかりの地
第41回「青春はつづく」
ついに「青天を衝け」が最終回となりました。
冒頭登場の家康公も今回が最後。「(栄一らが)切り開いた道の先を歩いているのはあなた方だ」。いいこと言いますなあ。さすがです。
そしてお話は第一次世界大戦の終結から。ということは1918年(大正7年)。えーー、亡くなる1931年まで14年間を1回で! うーーっむ。
そして実業界からの引退が語られますが、これは大戦終結前の1916年(大正5年)のこと。しかしその後も15時間働いたとか。経済界、教育、福祉、海外親善などその活動は多岐に渡りました。
大きな出来事としては、ワシントン軍縮会議を機に4度目のアメリカ訪問を行います。その前に原敬首相を訪問する栄一が描かれますが、これは史実にある1921年9月9日の訪問に基づいてのことでしょう。さらに病床の大隈重信を見舞う場面が描かれますが、実際にこうした見舞いがあったかどうかはよくわかりません。
大隈が病床に伏せるのはこの年の9月ごろからで、9月半ばには渡米した渋沢が見舞う暇があったかどうか。いずれにしろ、その大隈邸はこちら。
大隈重信邸跡(大隈庭園)
新宿区戸塚町1-104
最寄り駅:東京メトロ早稲田駅
大隈がメロンを振る舞う様子も描かれましたが、大隈は自邸内の温室が自慢で、特にメロンは日本で最初にマスクメロンを栽培したと言われるほど好物であり、栽培に力を入れていました。また福沢諭吉が亡くなった際、温室で育てていた花を自ら切って献花として送り、他の献花は断っていた福沢家も、大隈の献花だけは受け取った、という話は有名です。
地 図
そしてアメリカに乗り込む渋沢ですが、なかなか思うように事は進みません。ついには会ったばかりの原首相暗殺の報にも接します。その暗殺現場は、これは有名なのでご存知の方も多いでしょうね。そう、あそこです。
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