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「公園制度の誕生 太政官布達公園」

増上寺境内を「勝手に」公園指定してできた芝公園

★ジャンル【社会】
★場所 港区芝公園1−4
★最寄駅 JR、東京メトロ駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「公園がまだなかった江戸時代、江戸は庭園都市とよばれるほどに多くの庭園がありました。しかしこれらは大名や旗本などの屋敷がほとんどで、江戸庶民にとって身近に楽しむことができた緑あふれるレクリエーションの場としては、寺社境内や徳川吉宗が設けた数少ない花見の名所などでした。明治に時代が移り、新政府が打ち出した日本初の公園制度、明治6年(1873)の太政官布達第16号により、公園が誕生しました。その後、明治20年(1887)までに、江戸時代からの花見の名所や寺社境内など全国81箇所の公園が指定されました。上野の寛永寺と共に江戸の名所だった増上寺を中心とした芝公園は、上野、浅草、深川、飛鳥山と共に、明治6年(1873)に東京で最初の公園として指定されました。徳川将軍家の菩提寺増上寺の境内を取り込んだ形で公園化を図り、広大な敷地は1〜25号地に区画されていました。現在も公園では号地のままで親しまれています。当初は増上寺の境内を含む広い公園でしたが、戦後に新憲法が施行され、政教分離によって増上寺等の境内の部分が除かれ、現在の環状の公園になりました」

★解説
 増上寺三解脱門前、大門から向かって右手の歩道脇に設置してあります。
 しかしまあ、この案内板、政府に都合よく美しくまとめていますが微妙に日本語が変です。本当はこの公園の設置はひどい話なのです。
 そもそも明治政府の公園の設置は、国民の福祉を中心に意図したものではありませんでした。幕末の開国後、外国人が函館や神戸に多数居住するようになると、彼らは欧米の都市のような公園がないことを不満に感じ、自分たちで公園を作るようになると同時に日本政府に公園作りを働きかけます。
 東京では大名屋敷や寺社地が新政府のものとなりますが一般庶民には関係なく、むしろ寛永寺などが立ち入れなくなり行楽地の不足が不満の種になります。こうした内外の不満を解消する手段として、「全国の景勝地を公園とするように」というお触れが出たのです。
 東京の場合、維新時に所有権を取り上げた寺社地が、まだそこで活動している寺の意思とは関わりなく指定されました。芝公園でいうと、指定場所はすべて増上寺境内で、指定時には寺院がびっしりと建っているか、広大な徳川家の墓所がありました。まあ無茶苦茶です。
 これは徳川家の菩提寺であった増上寺いじめ以外の何者でもありません。同時に指定された寛永寺も菩提寺で、ともに旧境内を政府に取り上げられて

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