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「青山学院記念の地」

津田梅子の父が創立に大貢献

★ジャンル【学校】
★場所 中央区明石町6−23
★最寄駅 東京メトロ有楽町線新富町駅、日比谷線築地駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「青山学院は、米国メソジスト監督協会の宣教師により創立された3つの学校を源流としています。「海岸女学校」は、ドーラ・E・スクーンメーカーによって創立された源流の1つ「女子小学校」(1874年麻布に開校)が「救世学校」を経てこの地で大きく発展したもので、明治の女子教育に多大な足跡を残すとともに、青山学院の礎となりました。」

★解説
 居留地中央通りから一つ隅田川寄りの大通り、旧居留地地区の一番北の歩道上にあります。この辺りは他の築地地区と比べて中小ビルがぎゅうぎゅう立ち並んではいません。道も歩道も広々です。これも居留地時代からのゆとりある敷地のおかげです。
 さて青山学院も多くの源流を持ちますが、いずれも米国メソジスト監督教会の宣教師たちが設立した3つの学校が統合してできたものです。
 まず1874年に、麻布新堀町にドーラ・E・スクーンメーカーが女子小学校という学校を設立します。スクーンメーカーはわずか23歳で、アメリカで教師をしていましたが、志願して派遣されました。翌年芝に移って救世学校と改称、さらに1877年に築地居留地明石町10番地に移転し、海岸女学校と改称します。それがこの場所です。
 ですから厳密にいうとここ青山学院発祥の地ではありません。それで碑名も「記念の地」なのですね。
 1879年に校舎が火災で焼失し、一時、銀座3丁目の原女学校跡に移りますが、1881年に再び明石町13番地に再建されます。
 また1878年には、築地1丁目にジュリアス・ソーパーによって男子校の耕教学舎が設立されます。これは1881年に東京英学校と改称します。
 このほかに1879年に、横浜・山手にロバート・S. マクレイが美會神学校を

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