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「電燈供給発祥の地」(日本最初の発電所)

直流だった最初の発電所。発電機はエジソン製

★ジャンル【産業】
★場所 中央区日本橋茅場町1ー3ー10
★最寄駅 東京メトロ茅場町駅

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★碑文
「明治20年(西暦1887年) 11月21日東京電燈会社がこの地にわが国初の発電所を建設し、同月29日から付近の日本郵船会社、今村技能、東京郵便局などのお客様に電燈の供給を開始いたしました。これが、わが国における配電線による最初の電燈供給でありまして、その発電設備は直立汽缶と、30馬力の横置汽機を据付け、25キロワットエジソン式直流発電機1台を運転したもので、配電方式は電圧 210ボルト直流三線式でありました。」

★解説
 茅場町駅を出て北に向かい、左側に入ったところのビジネスホテル「相鉄フレッサイン」前に碑があります。
 「電燈供給」とありますが、要は日本初の発電所です。こんな都心にあったわけですね。電力には送電線で送る途中で失われる送電ロスがあり、基本的には消費地に近い方が採算性が高いものです。特に送電技術の未熟な草創期は、消費地のすぐそばで発電する必要がありました。
 1882年(明治15年)に銀座でアーク電灯が灯されたことは別稿で書きますが、その明かりは隣の建物に置かれた専用の発電機で灯されており、電気を作って売るための発電所はここが日本初なのです。
 エジソン式直流発電機というのは、白熱電球を発明したエジソンが作った会社の製品です。世界的もまだ電気利用が始まったばかりの当時、商業用の電気を交流にするか直流にするかは定まっていませんでした。
 エジソンは経験で工夫を重ねる技術屋だったので、科学的知識がないと理解できない交流発電については否定的でした。そのため自身の会社では直流発電機を造り、その使用を強く主張していました。

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 アメリカでは当時、それに反対して交流発電を推進するウェスティングハウスニコラ・テスラ陣営とエジソンの争いが激化しています。しかし直流は先に書いた送電ロスの解決が難しく、たとえばこの発電所では周囲数キロまでしか送電できなかったといいます。このため高電圧で送電して変圧して家庭で使える交流の優位が次第に固まっていきます。交流は直流に比べ変圧が容易でした。この発電所で使われていたエジソン式発電機は、今は上野の

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