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「活字を用いた近代印刷普及の起点」(活字印刷発祥の地)

活字印刷の普及はアキバから

★ジャンル【産業】
★場所 千代田区神田和泉町1
★最寄駅 JR、東京メトロ秋葉原駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「鋳造活字製造の事業化を果たした平野富二は、津藩主藤堂和泉守屋敷の門長屋を再活用した活版製造・販売所を開設し、これを機に全国的な規模で活版印刷が普及した」

★解説
 秋葉原駅から東へ5分ほどの区立和泉小学校の前にあります。2019年に設置された新しい掲示です。
 中央区にある「活字発祥の碑」(活版印刷業発祥の地)で詳しく書きましたので、こちらはさっぱりと書きます。
 日本における金属活字印刷は、実は戦国時代末期に西洋人経由と朝鮮経由で導入されましたが、たくさんの漢字、ひらがな、カタカナの活字を用意しなければならないことや、崩し字の表現ができない、絵は別に印刷しないといけない、などの制約から普及しませんでした。日本では一枚の版木に絵も文字も同時に彫り、多色刷りを施していく技術が発達していきます。
 幕末になって近代的な活版印刷技術が紹介され再度普及が始まるのですが、この発祥地は長崎と言っていいでしょう。手がけたのはオランダ語通訳だった本木昌造(もとき しょうぞう)で、1869年に長崎製鉄所に活版印刷の伝習所を設立、1870年には新街活版製造所を作って活版印刷の事業化を試みます。このときに最初に造った活字が「明朝体」活字のもとです。
 しかし本木には経営の才がなく、うまくいきませんでした。これに対し、弟子の平野富二(ひらの とみじ)が東京に出て、1872年に神田和泉町の旧

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