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新宿区内でも「千代田区立」の施設がある

23区全区境踏破第3回

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 さて前回、四ツ谷駅内を探索後、新四谷見附橋を渡って新宿区と千代田区の境界地帯を確認し、ご満悦であったわたしでした(区境というより縄張りの境という雰囲気でしたが)。
しかしその後、驚愕の事実を目にしたと申し上げました。
それをご紹介します。

新四谷見附橋を千代田区側から右の歩道(北側)を渡って進んでいくと、下にJR線路を見て区境があり、かつての江戸城城門の土手斜面を過ぎ、外堀通りに出ます。
かつて外堀だった新宿区側の窪地にはJRの変電所があり、その向こうには土木学会の建物があります。
新宿区や千代田区の地図を見ると、変電所は新宿区内のようですが、土木学会の建物は一部千代田区部分があるようです。
その先にはスポーツクラブがあり、ゼンリンの地図上は完全に千代田区です。
しかしクラブのHPでは「新宿区四谷一丁目外濠公園内」となっています。
一方、Googleはこの施設をなんと「新宿区五番町」と実在しない住所で紹介しています。
五番町はこの地が千代田区であるとしたら所属するはずの住所です。

で、これらの施設が立地する外濠公園入り口は橋を渡り切った外堀通りの手前にあり、緩やかに下っていく道があります。
ここはどう考えても、どう地図を見ても新宿区。
公園入り口には公園名が書かれた石があり、なんと書かれているかというと

「千代田区立 外濠公園」

新宿区内にある「千代田区立 外濠公園」の入り口

「・・・・・」
「千代田区立ううう!!!」
これはどうしたことでしょう!
なんで新宿区内なのに千代田区の公園があるのでしょうか?
堀底に向かう道を歩いていくと街灯にも「千代田区」とあり、管理棟にも堂々と「千代田区」と書いてあります。
しかし先ほども書いた土木学会の建物には「新宿区」とあります。
むむむむむ。

家に帰って調べました。
実は外濠公園は飯田橋駅あたりから続く外堀土手上などの長い公園で、戦前の1927年、当時まだ東京市の時代にできており、当時は「市」の公園でした。
この時は、現在も千代田区内である外堀の土手上だけの公園で、名称も「土手公園」でした。
ところが、その後四ツ谷駅北側の外堀が埋め立てられ、そこに公園が拡張し1936年に名前も「外濠公園」となります。
この時は市立の公園ですから、別に区の境をまたがっていても不思議はありません(当時は麹町区・四谷区・牛込区の三つの区にまたがっていました)

それが戦争中に「都」ができ、戦後行政分担の見直しが進む中で、外濠公園は1962年に「区立」の公園になるのです。
通常は所在地の区立公園となるのですが、外濠公園は千代田区と新宿区にまたがっていました。
では境界で分割するかというとそんなことはしません。
どちらか一方の管轄とするわけですが、その際、占める面積が広い方の区の所属としました。
外濠公園は千代田区部分が広く、一体として千代田区立の公園になりました。

では所有者はどうなっているかというと、実はここは国有地です。公園内に「千代田区が国から無償貸与されています」と看板があります。
もともと江戸城の外堀という「軍事施設」で、明治新政府が幕府から引き継いだものですから当然、国有地です。
看板は私のような奴が問い合わせに来てうるさいから建てたのでしょうか(笑)。

つまり、行政区の範囲とは無関係に別の自治体が管理している公園や建物があってもそれはそれで問題ないのです。
ちょっと違うかもしれませんが、伊豆や八ヶ岳に23区の保養施設があるようなものと考えてもいいかもしれません(まあこれは所有権があるわけですが)。
そして他にもこのような事例はあります。
すぐ近くの新宿区立みなみ児童遊園は、小さい公園ですが完全に港区内で、公園に港区の住所表示まであります。
そこは周囲のほとんどが新宿区であり、そのため新宿区が港区の土地を借りて公園を作っているのです。
「借りて」と書いたのは例えであり、借地料が発生するのか無償なのか、実際はどのような形式なのかはわかりません。
他にも世田谷区立の東玉川小学校は、校舎や校庭の大部分が大田区です。

ああ、びっくりした。
おやおやまだ四ツ谷駅周辺ではないですか!
次回から本格的に歩いていきましょう!

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