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「講談高座発祥の地」

落語や講談はなぜ高い段の上から語るのか

★ジャンル【文化】 
★場所 文京区湯島3-30
★最寄駅 東京メトロ湯島駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「江戸時代中期までの講談は町の辻々に立っての辻講釈や粗末な小屋で聴衆と同じ高さで演じられていた。文化四年(1807年)湯島天満宮の境内に住みそこを席場としていた講談師伊東燕晋が家康公の偉業を読むにあたり庶民と同じ高さでは恐れ多いことを理由に高さ三尺一間四面の高座常設を北町奉行小田切土佐守に願い出て許された。これが高座の始まりであり当宮の境内こそ我が国伝統話芸講談高座発祥の地である」

★解説
 湯島天神社境内の本殿手前右側、湯島駅からだと石段を登り切った左側にあります。
 中央区の「講談発祥記念之碑」でもご紹介しましたように、「講談協会」が造った講談の発祥の日は浅草橋にあります。そこで紹介されている由来などによると、講談の祖は赤松清左衛門(あかまつ せいざえもん)で1692年から辻講釈を始め、1701年に町奉行の許可を得て小屋を建てたそうです。
 伊東燕晋(いとう えんしん)が講座を設けたというのは1807年ですからだいぶ後ですねえ。しかもこの碑には「講談協会」などの名はありません。しかし建てたのは講談協会会長を長年務めて昨年亡くなった人間国宝の一龍斎貞水(いちりゅうさい ていすい、6代目)とあります。
 実は貞水の生まれは湯島で、家は碑に向かう石段のすぐ下にあって居酒屋を営んでいます。文京区の区民栄誉賞も受けており、地元愛が深かったのでしょう。碑を建てた背景がなんとなくわかります。
 碑文にあるように当初の高座は3尺(約1メートル)×1間(約2メートル)の台のようなものでした。家康の話をするために作ったように書かれていますが、これは幕府の公許を受ける際の表立っての理屈で、実際にはそれ以前

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