見出し画像

「講談発祥記念之碑」

漫才も落語も浪花節もルーツは同じ

★ジャンル【文化】
★場所 中央区東日本橋2-6-8
★最寄駅 JR総武線馬喰町駅、都営地下鉄浅草線東日本橋駅、新宿線馬喰横山駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「元禄の昔、赤松清左衛門は浅草見附辺の町辻で太平記を講じ、江戸講釈の発祥となった。これが後に「太平記講釈場」に発展して長く庶民に親しまれ、安政年間、「太平記場起原之碑」が建てられた。この碑はその後、当不動院境内に移され大正十二年の関東大震災まで名物となっていた。
 この度、当不動院と講談協会との因縁により、真言宗宗祖弘法大師一千百五十年御遠忌を記念し、相はかって茲に新たに建碑をなすものである。」

★解説
 「順天堂発祥之地」の碑と同じ薬研堀不動院にあります。
 講談はその起源は落語と同じ、武家の殿様へ面白い話、ためになる話を聞かせたお伽衆(御伽噺=おとぎばなしの語源)や、僧の布教のための説教話から生まれたといいます。落語はその名の通り、「落ち」があるもので、江戸初期にすでに「子ほめ」「唐茄子屋政談」「たらちね」などの原型の話があったようです。
 これらは京や大坂などの都会の辻で通行人に向かって話すので「辻噺」などとも言われました。
 講談の祖は、これら辻立ちでの話芸の中で、「太平記」などの軍記物を題材にしたものから発展しました。ギャグやユーモアではなく、物語の面白さを追求したものです。これらは「辻講釈」と言われました。
 赤松清左衛門(あかまつ せいざえもん)は名和(なわ)清左衛門とも名乗り元々は京都の人間でしたが、1692年(元禄5年)に江戸に出て辻講釈をしていました。その後人気が出たためか、1701年(元禄13年)に町奉行の許可を得て、近くの浅草見附(今の浅草橋)付近に小屋を建て、太平記物を語ります。
 これが「太平記講釈場」で、当時浅草見附から両国橋のたもと辺りは、芝居小屋、見世物小屋が集まって江戸の一大娯楽地になっていました。
 講釈は江戸末期から明治にかけてたいへん盛んになり、碑文にもあるように、赤松清左衛門を顕彰する「太平記場起原之碑」が、かつての薬研堀不動院境内に建てられました。しかし関東大震災でなくなってしまったため、震

これより有料です。以下には記事全文のほか、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「東京23区発祥の地めぐり」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に数百本近い記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

ここから先は

476字 / 2画像
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?