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「国産リボン発祥の地」

重要な産業だったリボン産業

★ジャンル【産業】
★場所 台東区谷中3-7
★最寄駅 東京メトロ千代田線千駄木駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「1894年(明治27)、藍染川(谷田川)のほとり、下谷区谷中初音町4丁目38番地(現・谷中3-7)に、岩橋リボン製織所(創業者岩橋謹次郎)が設立、日本で初めて西洋式リボンが生産されました。やがて当初から技術を支えた渡辺四郎に、さらに鈴木哲に引き継がれ、千代田リボン製織所として昭和40年代まで操業、その後は印刷所として使われました。近代日本のものづくりの原点であり、地域に愛されたのこぎり屋根工場は、2013年9月に解体されましたが、建築部材の一部と、工場跡から発見されたリボンの見本帳を含む貴重な文献資料は、明治の産業を知る宝として残されています。」

★解説
 千駄木駅から1本東のよみせ通りに入り、1階に小規模スーパーのあるマンション隅に道路に面して設置されています。
 リボンというと今では手芸用品、女の子のおしゃれ用品というイメージですが、明治維新後戦前まではもっと重要な産業製品でした。というのも戦前までの日本は、紳士は必ず帽子を被るもの、と決まっていました。このため帽子の需要が急速に拡大しますが、当初は国産品はありません。そのため1889年、渋沢栄一(しぶさわ えいいち)は国内産業育成のために日本製帽会社を設立します。主力商品は山高帽でした。この際、本場イギリスの技師を雇いますが、英国議会で問題になったそうで、産業としての重要性がわかります。
 この会社はうまくいかず、一旦解散して1889年に三井財閥の重鎮・益田孝(ますだ たかし=鈍翁)が引き継ぎ、1892年に東京帽子株式会社として再出発します。
 山高帽はフェルト製ですが、山とつばの間にリボンを巻くことが多いものです。このリボンも国産品はありませんでした。そこで当時の百貨店白木屋の支配人だった岩橋謹次郎(いわはし きんじろう)が、帽子がよく売れるのを見て、必要となるリボンの製造を始めたとも言われています。設立当時は目の前のよみせ通りは川で、動力や染色用に利用するのに都合が良かったようです。
 また山高帽だけでなく、近代的国家制度の中でリボンの需要も高まります。鉄道職員、郵便職員、警官、軍人など制服を着る組織が急速に増えるの

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