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「商法講習所」「一橋大学発祥の地」

「鯛味噌屋の二階で開校」は本当だったのか

★ジャンル【学校】
★場所 中央区銀座6-10
★最寄駅 東京メトロ銀座線銀座駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治八年(一八七五年)この地に商法講習所を開設す これ現在の一橋大学の発端なり」

★解説
 銀座6丁目、GINZA SIX前の歩道上にあります。建物側に「商法講習所」、車道側に「一橋大学発祥の地」と刻んであります。
 商法講習所は1875年(明治8年)9月に、中央通りに面してできたばかりの煉瓦街建物の2階仮校舎で発足しました。よく「鯛味噌屋の2階」と言われますが、正確には真上の2階ではなく、連なった建物の少し離れた1階に鯛味噌屋があったようです。当時大きな鯛の姿を看板に掲げた鯛味噌屋の印象が強く、のちに当時のことを語る際に誤解が生じたようです。
 なぜこんな場所で学校を開いたかと言えば、新築の校舎が間に合わなかったためで、翌1876年8月に銀座木挽町の新校舎に移転します。しかし銀座の煉瓦街は、少し前まではちょんまげの侍や商人が歩いていた街が文明開化で大改造された最先端地で、物珍しさに見物人が出たと言われる場所でした。そこで学校を開くというのは耳目を集めるにはよかったでしょう。
 創設者の森有礼(もり ありのり)は旧薩摩藩士で、幕末に五代友厚(ごだい ともあつ)らとともにイギリスに密航し勉強します。ロシア、アメリカも見聞して明治維新後に帰国、明治政府に出仕しました。1871年には日本初の外交官としてアメリカに赴任し、ワシントンで代理公使となります(当

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