「都市型保健所発祥の地」
保健所はロックフェラー財団が作った
★ジャンル【社会】
★場所 中央区明石町12ー1
★最寄駅 東京メトロ日比谷線築地駅
★碑文
沿革
昭和10年1月 東京市特別衛生地区保健館として誕生
昭和12年12月 ロックフェラー財団の寄金による庁舎竣工
昭和19年10月 東京都立中央保健所となる
昭和23年10月 東京都中央保健所となる
昭和50年4月 東京都中央区中央保健所となる
昭和57年11月 現庁舎竣工
★解説
聖路加国際病院向かい、中央区保健所の入口脇にあります。
保健所というと公的機関というのはわかりますが、では何をするところなのかと考えると、「えーっと」となる方、多くないですか? 予防接種や健康診断などが思い浮かびますが、公衆衛生を担当する機関で、その設置は地域保健法によって都道府県などに義務付けられています。
では「都市型」とはなんでしょうか? これは日本に初めて保健所ができた際、「都市型」と「農村型」の2か所が実験的に設置されたためで、当初は「保健館」と呼ばれました。世界的にもこのような施設はまだ珍しく、その成果は世界中に報告されました。
「農村型」は現在の所沢市に設置され、そちらには「保健所発祥の地」との石碑が建っています。中央区とほぼ同時の設置ですので、こちらも「保健所発祥の地」でいいように思いますが、なんか厳密です。
さてそんな世界に先駆けた発想の施設がなぜ日本にできたか? 残念ながら日本の発想ではありませんでした。関東大震災で東京や首都圏が壊滅した後、当時は最大の友好国であったアメリカから惜しみない援助の手が差し伸べられました。その際、ロックフェラー財団が、日本政府に公衆衛生専門家の育成・訓練機関の設立を勧めたのです。
これを受け、7年後の1930年(昭和5年)に国立公衆衛生院の設置と、その実地
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