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和歌山藩徳川家上屋敷(赤坂、赤坂御所)

紀州家屋敷を引き継いだ赤坂御所

55万石:(紀伊、伊勢、近江)
所在地:港区元赤坂2丁目1のほとんど
最寄り駅:四ツ谷駅、信濃町駅、青山一丁目駅

和歌山藩徳川家中屋敷(麹町)
和歌山藩徳川家下屋敷(芝)
和歌山藩徳川家下屋敷(万年橋)

和歌山藩徳川家蔵屋敷(築地)
和歌山藩徳川家抱屋敷(千駄ヶ谷)
和歌山藩徳川家屋敷(越中島その他)

 御三家では尾張に次ぐ格式を持つ紀州徳川家だが、七代将軍家継で家康直系が絶えたあと、家康との血縁の近さと、尾張家に有力な成人がいなかったことから和歌山藩主だった吉宗が八代将軍となり、以後十四代家茂まで紀州系が将軍を占める。しかし有力後継者が次々死んだことなどから、吉宗による毒殺の陰謀があったとの噂もある。
 この赤坂屋敷を「上屋敷」としたが、公式には麹町屋敷が上屋敷である。しかし1829年の文政の大火で麹町屋敷が焼失してからは、この赤坂屋敷が実質的に上屋敷として機能していたので、こちらを上屋敷として扱う。
 明治維新後、赤坂屋敷は皇室用地となり、江戸城西の丸御殿跡を使っていた御所が火災で焼けてからは、しばらくこの赤坂屋敷を仮皇居として使っていた。

1)迎賓館東門

 紀州家時代の建物はほとんど残っていないが、ふだん使われていない迎賓館東門は江戸時代の屋敷通用門を移築したものと言われる。

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