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「鹿骨発祥の地 鹿見塚」

難読地名の由来は神の鹿から

★ジャンル【地名】
★場所 江戸川区鹿骨3-1-1
★最寄駅 都営新宿線篠崎駅

★解説文
「この鹿見塚(ししみづか)のあるあたりは、昔から鹿骨発祥の地といわれています。伝説によると、昔戦国時代のころ、興亡のはげしい世の中を離れ、安住の地を求めて、石井長勝・牧野一族・田島一族・中代一族および別系の石井一族が開拓しました。ある日のこと、日頃尊崇している鹿島大神が常陸(茨城)から大和(奈良)に向かう途中、大神の杖となっていた神鹿が急病でたおれたので、塚を築きねんごろに葬った所だと伝えられています。昭和四十二年八月、氏子中によって「鹿骨発祥の地・鹿見塚」の碑が建てられいます(原文ママ)。台座はコンクリート三段組で高さ九十八センチメートル、碑石は高さ八十一センチメートル、幅五十二センチメートル、・厚さが十三センチメートルあります。現在の鹿見塚神社は昭和四十八年に再建築されました」

★解説
 篠崎駅から鹿骨街道に出て都心方面に進むと鹿骨親水緑道と交わる右手前角に鹿見塚神社があり、その中に碑が建っています。歩くと20分近くかかりますので、篠崎駅から新小岩駅行きのバスに乗って5分ほどの前沼橋バス停で降り、都心方向に進むとすぐです。
 鹿骨(ししぼね)はこの付近に江戸時代以前からあった村の名で、東京でも有数の難読地名です。
 鹿島神が常陸から奈良に向かったというのは、奈良の春日大社の創建の際の伝説です。藤原氏が氏神である春日神を奈良の御蓋山(三笠山)に招いて、祀ったのです。その際、鹿島神は多くの神鹿を引き連れて常陸から東海道を通って奈良に来たと言います。
 その途中のここで神鹿の一頭が病気で死んだので祀った、というわけです。しかしここの解説の文章では戦国時代のこととなっていますね。
 これもちょっと疑問があるのは、鹿骨の村を開拓した五つの家の名で唯一フルネームになっている石井長勝(いしい ながかつ)は実際に歴史に登場するのですが、鎌倉時代の人物であったようです。
 鎌倉幕府の有力御家人であった三浦氏の一族と言われ、三浦氏の大半が滅ぼされた宝治合戦ののちに江戸川の地に逃れたと言います。
 またこの鹿骨村の鎮守は鹿見塚の北西にあるまさに鹿島神社ですが、古くは五社神明などと呼ばれ、開拓一族である5つの家の神をまとめて祀ったためについた名だと言います。この鹿島神社と鹿見塚稲荷は当然関係あると思われますが、その辺の由来はよくわかりません。
 また今は何も残っていませんが鹿見塚は古墳だったとの説もあるようです。

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