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地震学発祥記念碑(東京大学地震研究所記念碑)

日本で始まった地震学

★ジャンル【科学】 
★場所 文京区弥生1-1
★最寄駅 東京メトロ東大前駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「大正14年11月14日に地震研究所設立の官制が施行され、安田講堂裏に建物がつくられることとなった。昭和2年3月に着工し、翌3年3月に竣工した。建物は地下2階付きの鉄骨鉄筋コンクリート構造2階建てで、建築学科教授内田祥三先生が設計されたものであった。大地震が襲来しても建物内で観測や研究が出来るようにと、当時の標準設計震度の2倍の計算で設計された。正面玄関の壁面には日月の凹みの模様があり、また、玄関に近い西壁面には地震計をかたどった石飾りがあった。これらはやはり建築学科の岸田日出刀先生の手になったものである。地震研究所が昭和38年から45年にかけて現在の場所に順次移転した後、安田講堂裏の建物は他部局が使用していたが、理学部の増築計画により昭和56年11月取り壊されることとなった。地震研究所発足から40有余年、黎明期における地震学研究の輝かしい業績を生み出した旧地震研究所の建物を永く記念すべく、岸田先生の手になる石飾りの地震計と日月を切り取り組合せてここに建立する」

★解説
 農学部などがある東大弥生キャンパスの一番奥、東大地震研正門脇にあります。東大前駅のある通りの一つ裏の通りです。
 よくあることですが、この碑(モニュメント)がなぜ「地震学発祥記念碑」と呼ばれるようになったのかは謎です。
 そもそもは、東大構内にあった初代の東大地震研究所の建物が1981年に取り壊されたことに始まります。1928年竣工の建物には日月をかたどったモザイクが壁に、また地震計をかたどったオブジェが飾られていました。地震研取り壊し後、このモザイクとオブジェは流石に取り外されていましたが野ざらしの放置状態でした。
 これを惜しんだ大成建設が「地震学発展の象徴として保存したい」と資金提供を申し出、台座にモザイクをあしらい、1983年に移転していた現在の地震研敷地あたりに設置しました。この時に何故か「地震学発祥記念碑」という通称になったようです。現在のオブジェにはそのような題はついていません。
 碑文にもあるように、地震研の設置が決まったのは1925年です。そのきっかけは関東大震災です。それまで1891年の濃尾地震をきっかけに作られた文部省の震災予防調査会が地震研究の中心を担っていましたが、1923年の関東大震災に何ら役割を果たせず批判が高まったため、これを解散して新たに専門研究所として作られました。明治に入ってもすでに多くの地震災害に日本は襲われており、地震研究がされていなかったわけではないのです。
 日本の近代的地震研究は、当の地震研のページにもあるように、1872年にお雇い外国人フルベッキが日本橋で地震観測を試みたことに始まります。その後1880年に横浜地震があり、地震が少なく経験したことがなかった外国人

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