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「日本国海図及び海洋調査発祥の地」

「水路」の名は消えても、維新以来続く海図測量組織

★ジャンル【その他】
★場所 中央区築地5−3−1
★最寄駅 都営大江戸線築地市場駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治4年、時の政府は、海運や国防のために船舶が安全に航海するため海の深さや目標物を記した海図の整備が急務であると考え、兵部省海軍部水路局をこの地に創設し、外国人に頼らず独力で海洋調査を行って日本国として初めての海図を作成しました。以来、この地において先人の遺業を継承して日本の海を調査し、海図を整備を行って近代日本の発展を支えてきました。近年、これらの業務は海上保安庁海洋情報部に引き継がれ、世界に先駆けた電子表示の海図の刊行や我が国大陸棚を広げるための精密な海洋調査などを実施し、海洋立国の礎を築くとともに国際的な貢献を果たしてきました。平成23年、築地を離れるにあたり、140年に亘る長い歴史を刻んだこの地を発祥の地として後世に伝えることとしました。」

★解説
 都営大江戸線築地市場駅のすぐ前、東京国税局の構内ですが、自由に見ることができます。
 日本の海図を作成してきたのは一貫して「水路部」という組織でした(局とか寮の時代も少しあります)。説明文にあるように、戦前は「海軍水路部」であり、戦後はそっくりそのまま海上保安庁に移されて「海上保安庁水路部」となります。
 発足は1871年で、当時は「海軍部水路局」との名称でした。1872年に海軍省ができ、同年「水路寮」となります。1886年に再び「水路局」となり、1886年に「水路部」となってからは一貫して水路部と呼ばれます。
 創設時は築地の海軍兵学寮内にあり、海軍省が芝から霞ヶ関に移って以降は、芝の旧海軍省跡地に移ったようです。現在の芝公園4号地です。その後1910年に海軍経理学校跡に新庁舎ができ、ここに移転後は2011年に江東区青海に移転するまで100年以上、日本の海図作成事業はここで行われました。
 この明治初期の海図制作や測量事業を中心になって推進したのが柳楢悦(やなぎ ならよし)でした。柳は津藩の下級武士として生まれ、和算を学

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