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「渋澤倉庫発祥の地」(渋沢栄一邸跡)

唯一「渋沢」の名を冠した倉庫業

★ジャンル【企業】 
★場所 江東区永代2-37
★最寄駅 東京メトロ、都営地下鉄、門前仲町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
 「『わが国の商工業を正しく育成するためには、銀行・運送・ 保険などと共に倉庫業の完全な発達が不可欠だ』 日本資本主義の生みの親である、渋澤榮一は、右の信念のもと、明治三十年三月、私邸に澁澤倉庫部を創業した。この地は、澁澤倉庫発祥の地である。 渋澤榮一の生家は、現在の埼玉県深谷市にあり、農業・養蚕の 他に藍玉(染料)の製造、販売も家業としていた。この藍玉の商いをするときに使用した記章が 〓 (ちぎり・りうご)であった。 明治四十二年七月、澁澤倉庫部は、澁澤倉庫株式会社として組織を改めたが、この〓の記章は、現在も「澁澤倉庫株式会社」の社章として受け継がれている。 澁澤シティプレイス永代建築を記念し本碑を建立する」

       〓は

ちぎり

★解説
 永代通りを隅田川方面に向かい、永代橋の一つ手前、福島橋手前の右側に「澁澤シティプレイス永代」があり、その永代通り沿いの植え込み内にあります。この敷地は渋沢栄一(しぶさわ えいいち)が東京に住んで初めて建てた邸宅のあった場所で、近くに「渋沢栄一宅跡」の解説版も立っています。
 最近話題の渋沢栄一ですが、やろうと思えばできたのに「渋沢財閥」を作らなかったことで有名です。500社とも言われる起業を自身で行い、あるいは支援したにもかかわらず、自らが大株主となることはほとんどありませんでした。第一銀行という日本初の銀行の頭取として日本の産業を金融面から支配することもできましたがそれもしませんでした。
 その渋沢が唯一「渋沢」の名を冠した企業がこの「澁澤倉庫」です。
 この倉庫業の発端は、渋沢自身が大蔵官僚時代に手がけた国家的大制度改革、地租改正にあります。明治までの日本では国の基本は農業で、税金は主に米で納められていました。また土地は公のものというのが建前でした。しかしこれでは税収は不安定であり、西欧のような土地私有制度や金納による税制の確立が求められていました。
 こうした制度の実現をいち早く提言したのが、大隈重信(おおくま しげのぶ)大蔵民部大輔の下、改正掛として国家プランを練っていた渋沢でし

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