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「中野区教育発祥の地」

本当の発祥の地は近くの宝仙寺

★ジャンル【学校】
★場所 中野区本町2-38-9
★最寄駅 東京メトロ丸の内線中野坂上駅

★解説文
「明治八年(1875)四月二十日、宝仙寺の本堂を仮校舎として、第三中学区第九番公立小学校桃園学校が開校しました。中野区周辺で最初の公立小学校であり、文明開化の象徴として、近代教育のさきがけとなりました。明治一五年(1882)一月、宝仙寺仁王門東側に校舎を新築し移転しました。その後、地域の発展に伴い児童数が増加したため明治三十三年(1900)八月、字三谷(現在地)に校舎を新築し移転しました。昭和二十年(1945)五月、戦火により校舎の多くを焼失しましたが、昭和二十二年(1947)四月一日、中野区立桃園小学校と改称し、昭和五十年(1975)、創立百周年を迎えました。平成三十一年(2019)四月一日、中野区立向台小学校(昭和十一年(1936)四月一日、東京市向台尋常小学校として開校)と統合し、旧向台小学校の位置(弥生町一丁目)に中野区立中野第一小学校が開校しました。令和三年(2021)四月一日、中野第一小学校はこの地に校舎を新築し、弥生町一丁目より移転してきました」

★解説
 中野坂上駅3番出口から青梅街道を青梅方面に進み、レオパレス21本社の角を左折します。少し歩くと真新しい校舎の中野区立中野第一小学校があり、その校門脇に解説板が立っています。
 しかし! この解説板のタイトルは間違っていると言わざるを得ません。解説文にも、現在の中野区内最初の公立学校である中野区立中野第一小学校の前身の一つ桃園小学校は、この近く、青梅街道を挟んで北側にある宝仙寺境内で開校した、と書かれています。
 ですから中野区の「近代」学校教育は宝仙寺で始まったのです。にもかかわらずこの場所を「中野区教育発祥の地」と書く神経がわかりません。
 中野第一小学校の「創立地」とか「発祥地」ですらありません。これも解説板にある通り「中野第一小学校」は統合により旧向台小学校の場所、ここからは神田川を渡った南側にある弥生町1丁目で開校したのです。この解説板は謎です!
 桃園小学校は開校と同時に二つの分校、桃野小学校と桃井小学校が設けられましたが、現在はそれぞれ杉並第一小学校と桃井第一小学校になっており、どちらも現在は杉並区です。しかしこの当時は、青梅街道沿いというつながりが優先されたのでしょう。
 その後、1882年に野方小学校を分離(2011年閉校)、1921年に桃園第二小学校

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