見出し画像

「原胤昭、出獄人保護事業を始める」(東京の更生保護活動発祥の地)

奉行所元与力が始めた更生支援事業

★ジャンル【社会】
★場所 千代田区神田神保町2-7
★最寄駅 東京メトロ、都営地下鉄神保町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「元南町奉行所の与力の原胤昭は、1897年この地に『東京出獄人保護所』を開設し、出獄人保護の社会事業に尽力。同所は、1903年現在の神田須田町に移転した」

★解説
 靖国通り専大前交差点の南東角を少し南に向かった歩道植え込み内にあります。
 更生保護とは、刑に服して出所した元犯罪者たちが再び罪に手を染めないように周囲が支援する活動です。「保護」は元犯罪者を再犯から「保護」するとともに、再犯を防止することで社会を新たな犯罪から「保護」する、との両面の意味を持つと言います。
 江戸には石川島人足寄場というものがあり、犯罪者の職業訓練や再出発支援をしていました。ちなみに発案者は長谷川平蔵(はせがわ へいぞう)、鬼の平蔵です。実際は仏のような心も持った方でした。同様の施設は全国にいくつかあったようです。
 しかし明治になるとこれらの施設はなくなり、国の元犯罪者支援はほとんどなくなりました。刑務所出たら親類縁者を頼って自分で何とかしろ、というのが基本でした。しかしそれでは出所者の再犯が増え、社会的にも問題だということで、1888年、静岡県に全国初の出獄者支援組織「静岡県出獄人保護会社」ができます。
 これを見て、全国の主に宗教団体が同様の活動を各地で始めます。
 原胤昭(はら たねあき)は江戸町奉行の与力で犯罪者を取り締まり、管理する側でしたが、明治になって反政府言論活動の嫌疑で石川島の監獄に入ります。この際に体験した監獄の劣悪な環境に同情し、また再犯防止の観点

これより有料です。以下には記事全文のほか、写真、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「東京23区発祥の地めぐり」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に数百本近い記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

ここから先は

921字 / 2画像
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?