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「酸素」「花粉」「大腸」、みな津山発/侮れないホルモンうどん/津山市

★「日本の城下町を愉しむ」一覧
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 「酸素」「花粉」「大腸」「珈琲」。これらの言葉、全て津山藩が産み出したものだ。
 幕末頃の津山は、「洋学の里」と呼ばれるほど西洋の学問が盛んだった。その始まりは宇田川玄随(うだがわ げんずい)。代々津山藩江戸詰の漢方医の家に生まれたが、杉田玄白(すぎた げんぱく)らと知り合い蘭学に目覚め、同藩の洋学興隆の基を作る。
 養子の玄真(げんしん)は蘭学の大立者として名を上げ、ヨーロッパの最新医学書や百科事典の翻訳を手がける。佐藤信淵(さとう のぶひろ)、緒方洪庵(おがた こうあん)、箕作阮甫(みつくり げんぽ)ら多くの弟子を育てた。「大腸」「小腸」という訳語を作り、リンパ腺の「腺」や膵臓の「膵」という漢字を考案した。今は中国でも「腺」の字を使っている。
 玄真の養子榕菴(ようあん) は、医学のほか植物学や化学に関心を持ち、「元素」「酸素」「炭素」「物質」「蒸気」「還元」など、現代でも化学の基礎となっている用語を考案している。また「花粉」「属」などの植物学用語も訳出している。
 宇田川三代の影響で洋学に憧れた箕作阮甫は、津山に生まれ勉学に励んで江戸に出る。幕府の翻訳機関に入り、ペリーが持参した大統領国書の翻訳や、長崎に来たロシア使節プチャーチンとの交渉にあたる。さらに幕府の洋学の拠点、蕃書調所の教授として幕臣となり、弟子や子孫は日本の近代学問に重要な役割を果たす人物を輩出する。
 阮甫の生家は、城下町の出雲街道沿いにあり、保存公開されている。その

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