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「関東学院の源流 東京中学院発祥の地」

軍人出身の校長が戦前の弾圧のりこえる

★ジャンル【学校】
★場所 中央区明石町1−15
★最寄駅 東京メトロ有楽町線新富町駅、日比谷線築地駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「1895年9月10日、ここ築地居留地42、42番地で米国バプテスト伝道協会が東京中学院を設立した。関東学院教育の源流はここに発する」
「人になれ 奉仕せよ」

★解説
 雙葉学園の碑と同じ居留地中央通りの南側数十メートル、明石小学校の前にあります。
 関東学院大学にはいくつか源流があり、その一番古いものは、1884年(明治17年)に横浜山手にアメリカ北部バプテスト同盟(プロテスタント系)のアルバート・アーノルド・ベネットが設立した横浜バプテスト神学校です。この学校は1910年(明治43年)に福岡バプテスト神学校と合同して東京・小石川に移り、名前も日本バプテスト神学校となります。
 一方、東京中学院も同じアメリカ北部バプテスト同盟の学校で、碑文の通り1895年にこの場所で開校します。初代校長はE・W・クレメントという人でした。東京中学院は1899年(明治32年)9月14日に東京学院と名称変更し、10月28日には市ヶ谷に移転します。その後中学部、高等学部ができますが、1917年(大正6年)に中学部を廃止。その敷地に先の日本バプテスト神学校が移転して、1919年に「神学部」となります。
 東京学院の中学部を廃止した代わりに、1919年(大正8年)1月27日に私立中学関東学院が横浜、現在の関東学院中学校・高等学校の場所に開校します。初代校長は軍人出身の坂田祐(さかた たすく)でした。
 坂田は旧会津藩士の息子で、両親は維新後に斗南藩(青森県むつ市)に移

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