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「電信創業之地」

西南戦争で威力を発揮した電信

★ジャンル【産業】
★場所 中央区明石町13−10
★最寄駅 東京メトロ日比谷線築地駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「東京電信局跡 明治ニ年十二月廿五日開始」
「電信創業記念碑の由来」
「明治2年9月19日(太陽暦10月23日) 横浜裁判所と東京築地運上所内に設けられた「傳信機役所」を結ぶ約32キロメートルの電信線架設工事が開始され、同年12月25日に業務を開始した。これが、我が国における公衆電気通信の最初である。この記念碑は、先駆者の業績を後世に伝えるため、昭和15年に建立されたもので、昭和53年、南南東約40メートルの地点から 当地へ移設されたものである。」

★解説
 中央保健所の南、あかつき公園のさらに南にある都営住宅敷地の角にひっそりと建っています。碑脇の「由来」にあるように、元は横の路地を入った奥、料亭の「治作」前にありました。
 電信は「Electrical telegraph」の訳、電気通信ですね(創業当時は「傳信」)。現在は無線が主流ですが、この当時は金属線(主に銅線)を使った有線電信しかありませんでした。つまり通信をしたい場所の間に金属線を引いて行うわけです。ということは最初の電信はどこか1か所で行ったものではなく、2か所を結んで行われたことになります。
 日本の場合は、鉄道と同様東京ー横浜間に引かれました。横浜側は横浜市中区日本大通の横浜地検脇に「電信創業の地」という碑があります。鉄道の敷設は1872年ですから、この電信は1869年なので3年も早いです。線路を引かなければならない鉄道と比べ、電信は電柱を立てて線を引くだけですから比較的容易ですが、それにしても電信にかける明治政府の意気込みが感じられます。工事の開始は、箱館戦争が終結してまだ4か月しかたっていませんでいた。
 築地と横浜が結ばれたというのも、貿易の現場である横浜と居留地がある税関業務を行っている築地を結ぶという意味があったのでしょう。
 実はこれ以前にも実験的な電信は日本にもありました。砲術家として有名

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