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「日本の野球チーム発祥地新橋」

鉄道発祥地で生まれた初の野球チーム

★ジャンル【スポーツ】
★場所 港区新橋5−26−8
★最寄駅 JR、東京メトロ新橋駅、都営三田線御成門駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「新橋は、日本の鉄道発祥地で有名であるが、この鉄道発祥地で日本の野球チームが生れたといわれている。日本の野球元年は、明治五年(1872)アメリカ人ホーレス・ウィルソンが生徒に野球を教えたのが初めてである。明治十一年、アメリカ留学から帰った鉄道技師平岡凞が、旧新橋駅構内の荒れ地を地ならしし、駅員や鉄道局職員に野球を紹介し、日本発の野球チーム「新橋倶楽部」を結成、明治十五年、日本で最初の野球試合を行ったとされている」

★解説
 新橋赤レンガ通りを南に進み、新虎通りも渡って塩釜神社があるあたりも過ぎた歩道上にあります。
 微妙な発祥地です(笑)。というのも、まずこの案内板があるのは新橋赤レンガ通り。新橋駅西口のSL広場から西に行った通り沿いにあります。今は大通りと言うにはややためらわれる道ですが、江戸時代は「愛宕下大名小路」と呼ばれ、中小の大名屋敷の門が並ぶメインストリートでした。しかし案内で「発祥地」としている旧新橋駅構内は現在の汐留地区でかなり離れています。
 しかも野球「チーム」発祥です。「野球」発祥の地は、以前ご紹介した学士会館の場所というのが定説です。この解説板でもそう書いています。2つも微妙な点を抱えてはいますが、野球はご関心の方も多いので、野球の歴史を紐解く意味でご紹介します。
 この平岡凞(ひらおか ひろし)という人は野球殿堂入り(第1号! 002番。001番は正力松太郎)もしている野球界では著名な方です。1871年(明治4年)に自費でアメリカに留学。機関車製造技術と野球を学んで1876年(明治9年)に帰国、鉄道局に入って新橋鉄道局に勤務します。
 その後1878年(明治11年)に新橋停車場内に野球場を作り、新橋アスレチック倶楽部というチームを作って野球を広めました。野球場は「保健場」と呼ばれ、鉄道員たちの健康増進という名目もあったようです。また場所につ

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