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「四谷鮫河橋地名発祥之所」

江戸・東京の暗部だった谷

★ジャンル【地名】
★場所 新宿区南元町20
★最寄駅 JR総武線信濃町駅

これまでの東京23区発祥の地一覧

★碑文
特になし

★解説
 赤坂御所北西に隣接する「みなみもと公園」脇、JR中央線、総武線の「鮫ヶ橋通ガード」手前の鳥居や小さな社が集まる一角にあります。江戸以来の民間信仰や、明治の暗黒の歴史に触れられる面白い場所です。
 江戸時代までこの碑のある場所は、北や西から下ってくる谷の合流点でした。みなふだんは細い川ですが、いったん雨が降ると濁流となり、今の公園あたりは大変なことになっていたでしょう。ですから土地としては下の下の土地で、急な崖で隔てられた台地上には大名や旗本の屋敷がありましたが、谷筋の低湿地は町人地で、台地と低地の境には四谷南寺町という寺院密集地帯がありました。寺の本堂などは台地そばにあり、低地に下る斜面は今でこそ立派な墓地ですが、江戸時代にはほとんど「投げ捨て」に近い感覚の墓場だったでしょう。
 「鮫河橋」という橋の名は、幕末の江戸名所図会にも出てくる由緒ある名です。図会にも「小溝に架かる橋」とあるように何の変哲もない小さな3、4メートルほどの橋ですが、取り上げられたのはやはり名前が面白いからでしょうか。それがいつしか周辺、特に上流の谷間の地名になったようです。
 この地名は古くからあったようですが、古代には鮫が上ってくる入江だったとか、いろいろ説がありますがはっきりしません。江戸時代には橋は紀州

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