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「日本聾話学校発祥の地」(口話法教育発祥の地)

口話法を推進したライシャワー大使の父

★ジャンル【学校】
★場所 新宿区矢来町25
★最寄駅 東京メトロ神楽坂駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「愛はいつまでも絶えることなし」
「日本聾話学校はこの、東京牛込福音教会会堂にてA.K.ライシャワー夫妻(ライシャワー元駐日大使のご両親)福音教会宣教師L.F.クレーマ女史によって開校しました。(開校当時生徒9名教師2名)」

★解説
 ここも住宅街でわかりにくいです。牛込中央通りから西に入り、矢来公園南側の道をさらに西へ進むと、日本基督教団エパタ教会があり、その駐車場脇にあります。
 駐日アメリカ大使として有名だったエドウィン・ライシャワー博士は東京の白金で1910年(明治43年)に生まれ、1927年(昭和2年)まで日本で暮らしました。父のオーガスト・カール・ライシャワーがキリスト教長老派教会の宣教師で、日本で布教活動をしていたからです。オーガストは東京女子大を設立して代表を務め、明治学院高等部長、女子学院院長などを歴任し、戦前の日本のキリスト教教育の中で大きな役割を果たしました。
 その間、日本で生まれた長女が乳児の頃の病気で聴覚を失ってしまいます。オーガスト夫妻は娘の教育を口話法教育が中心だったアメリカで行うことにします。口話法とは、話す人の口の動きから音声・言語を読み取って理解し、聾者もコミュニケーションのために発声を訓練するやり方です。
 長女は母のヘレンとともにアメリカに帰国し、口話法教育を受け、ヘレンも口話法教育を学びます。こうして夫妻は聴覚障害者への口話法教育の重要性を認識し、日本でもこの教育法を広めようと、聾教育の経験を持つ牛込福音教会の女性宣教師ロイス・F・クレーマとこの学校を作りました。
 聴覚障害者の教育については、世界的に大きな揺れがありました。聴覚障害者はコミュニケーションの手段として古くから手話を編み出し、活用してきました。しかし近代国家の成立とともに、その国ごとの言語を聴覚障害者

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