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海軍兵学寮趾(海軍兵学校発祥の地)

築地で始まった海軍士官教育

★ジャンル【学校】
★場所 中央区築地5-1-1
★最寄駅 東京メトロ日比谷線、都営浅草線東銀座駅、都営大江戸線築地市場駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
特になし

★解説
 碑は国立がん研究センター中央病院敷地の北の隅、首都高銀座料金所の脇にあります。
 一般に海軍兵学校というと「江田島」(広島県)と思われる方が多いと思いますが、その源流となる海軍操練所ができたのは築地です。
 築地には幕末に講武所という軍事教練を行う施設が設けられ、さらにその中に1857年に軍艦教授所が作られます。長崎の海軍伝習所の2年ほど後です。まもなく軍艦操練所と改称し、長崎が1859年に閉鎖されると、この築地の操練所が幕府の海軍軍人養成の中心施設となります。当時は現在の勝鬨橋のたもと辺りにあるその場所が隅田川の河口で、海に出るのに都合がよかったようです。この施設は1867年に火災で焼けるまで利用され、その後は近くの浜御殿(現在の浜離宮)に移転し、その頃には海軍所という名称になっていました。
 幕府が崩壊し江戸が東京となると、今度は新政府が築地に目をつけます。1869年には海軍操練所ができますが、その場所はかつての軍艦操練所と水路を挟んだ向かい側、広島藩浅野家の下屋敷があった場所でした。ネットなどで検索すると「芸州屋敷跡に置かれた」と出てきますが、これは安芸(芸州)にあった広島藩の屋敷ということです。
 翌1870年に名前が海軍兵学寮と改称されます。1871年にはがんセンター敷地に校舎が新築され、浅野家の屋敷跡から、旧築地市場の北西の部辺りに移

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