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「水田の碑」(駒場農業学校跡地、近代農学研究・農業教育発祥の地)

今も残る農学研究開始の水田

★ジャンル【学問】 
★場所 目黒区駒場2-19-70
★最寄駅 京王井の頭線駒場東大前駅

★碑文
「この水田は明治11年 ここ駒場野に開校した農学校の農場の一部で わが国最初の試験田実習田として近代日本の発展を支える淵源の一をなした 農学校はいくたびか学制の変更により名称を変えて その歴史を継ぐ学校がこの地で発展を重ねた その間この水田は近代農学研究発祥の地にふさわしい沿革をたどり 国際的協力のもとに初めて本邦近代農業の研究と教育とが進められ幾多人材の輩出を見た 本校は東京農業教育専門学校附属中学校として昭和二十二年開校以来 右の歴史の流れを継いでこの水田を教育の場に活用する栄光に恵まれ 耕作を続けて本年創立四十周年を迎えた そもそも農は人類生存の基をなす営みである 本校はこの水田のもつ歴史的意味に想いを致し 幾多先輩の偉業を想起しつつこれを永く後世に伝えたいと考え ゆかりある方々の翕然たる協力を得てここにこの碑を建立する なお建立に際し地元目黒区の理解と協力のあったことを録して感謝の意を表する」

★解説
 駒場東大前駅を降りて、駒場野公園に向かいます。井の頭線の踏切を渡って公園入り口を入り、少し歩いてから左に曲がると、水田を背に碑が建っています。
 明治維新というと「殖産興業」で、工業化のイメージがありますが、明治時代通じて国民のほとんどは農業に従事しており、農業が産業の中心であることに変わりはありませんでした。
 しかし西洋の進んだ技術による農業の近代化は急務でした。この農業振興には内務卿でもあった大久保利通(おおくぼ としみち)が熱心で、各地で農業振興事業を進めています。 明治政府は1874年、旧内藤家屋敷を中心に設けた内藤新宿試験場(現在の新宿御苑)内に、農事修学場を設置します。ここの環境が良くない(内藤新宿の歓楽街に近かった)ということで、1878年にこの駒場に移転し駒場農学校が開校します。北海道に造られた札幌農学校は有名なクラーク博士などアメリカ式農業を教えましたが、駒場農学校ではドイツ式が中心でした。
 こうしてドイツから招かれた農学者の一人がオスカル・ケルネルでした。ケルネルの専門は特産でしたが、日本ではまだ畜産が盛んでないことから、稲作やその肥料の研究を行い、指導をしました。その実習や研究の舞台となったのが、碑の背後にある水田で、今も「ケルネル田圃」と呼ばれています。
 1881年来日したケルネルは1887年には日本人と結婚し子供ももうけ、一時

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