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「本邦セメント工業発祥之地」

官営工場から浅野、太平洋セメントへ

★ジャンル【学校】 
★場所 江東区清澄1-2-37
★最寄駅 JR、東京メトロ清澄白河駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「此地ハ元仙台藩ノ蔵屋敷跡ニシテ明治五年大蔵省土木寮ニ於テ始メテセメント製造所ヲ建設セリ 同七年工部省ノ所管トナリ深川製作寮出張所ト改メラレ技師宇都宮三郎氏ニ依リ湿式焼成法ヲ採用シ初メテ外国品ニ劣ラザル製品ヲ得タリ 明治十年一月深川工作分局ト改称サレ工場ノ拡張相次テ行ハレ同十六年四月逐ニ初代浅野総一郎ノ経営ニ移リ浅野工場ト称スルニ至ル 明治三十一年ニ月浅野セメント合資会社創立ト共ニ本社工場トナリ同三十六年十一月本邦最初ノ回転窯ヲ設置シ事業愈盛大トナレリ 大正元年十月組織ヲ改メ株式会社トナリ東京工場ト改称シ今日ニ改フ 蓋シ此地ハ本邦セメント工業創生ノ地ニシテ同時ニ又当社発祥ノ地タリ 仍而茲ニ其然ル所以ヲ録シ之ヲ記念ス」

★解説
 清澄公園(庭園ではなく)と隅田川に挟まれた一角と、かつては仙台堀川が流れていた清澄排水機場に挟まれた道路ぎわに色々と記念物が並んでいます。
 中心となる碑の横に碑文が金属版に書かれていますが、どう見ても後世に写したものです。オリジナルが碑の背中にあるのか、はたまた失われているのかは確認できていません。碑の横にはここにあった浅野セメントを創業した浅野総一郎(あさの そういちろう)の像があり、さらに巨大な鉄アレイのような物体と、大きなコンクリート製のブロックが置かれています。
 鉄アレイのようなものは、セメントの原料を破砕するためのフレットミルと呼ばれる巨大スリコギ機のローラーで、ブロックは明治20年代に横浜で行われた築港工事の際に防波堤基礎として沈められたもので、37年後に改築で引き上げられたものです。長期間塩水中にあったにもかかわらず損傷がなく、優れた品質だったことを証明していると言います。
 セメント自体の歴史は古く、古代エジプトのピラミッドにも使われています。これは消石灰と火山灰などを水と混ぜて練り合わせたもので、砂を混ぜて石同士をくっつけていました。中世では長い間忘れられていましたが、産業革命で石材不足になり、さらにより強度が高く、すぐに固まる建築材料と

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