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「東北・上越新幹線上野駅誘致住民運動 発祥の地」

飛ばすはずだった上野駅。時勢に翻弄された新幹線

★ジャンル【社会】
★場所 台東区上野4−7−8
★最寄駅 JR、東京メトロ駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「東北・上越新幹線上野駅設置という国家的大事業は、台東区民が昭和四十六年二月新幹線誘致運動を開始して以来、台東区民の総力を挙げたねばり強い行動の積重ねにより実現しました。特に、昭和四十六年十月「東京駅を起点とし、上野には駅を作らず、上野公園地下を通過」という国鉄の新幹線計画発表は、地元台東区に大きな失望を与えました。この挫折の時期をのりこえ、昭和五十二年十二月台東区案による新幹線上野駅設置決定に持ちこむまでの上野駅誘致実現期成同盟・同住民運動本部を始めとする関係地元団体の積極的な活動に対しまして、心から敬意を表します。ここに、新幹線上野駅開業による台東区の発展を祈念し、永年誘致運動に尽力された方々のご苦労を讃えるため、「上野駅誘致住民運動発祥の地」と刻み顕彰します」

★解説
 上野駅からアメ横に入り、アメ横センタービルの三叉路の頂点部分にあります。
 駅方向から近づくと猫のようなオブジェがちょこんと座っています。しかし作者の関孝行さんによるとこの像は猫や狸ではなく人間で、街の賑やかさをイメージしたものだそうです。下に「賑わい」と彫ってあります。
 ということで実はこの像は、1987年(昭和62年)に周辺の道路のカラー舗装化を記念しておかれた像で、実は新幹線とは関係ありません。像の後ろにそう書いてあります。像ができたあと、この台座の前に、先の説明文が書かれたプレートが1991年(平成3年)に取り付けられたのです。像は最近はキャラクター化されて「アメどん」という名でアメ横オフィシャルキャラクターとなっています。
 さて東北上越新幹線が需要からではなく政治主導で建設されたことは有名ですが、1971年(昭和46年)に両新幹線の建設が決まった際には、都内の発着駅は東京駅とされ、上野駅を作る予定はありませんでした。
 大宮ー東京間は近く、新幹線の高速性を生かすには上野に停まるメリットは無いとの考えでした。東京を出た新幹線は上野公園直下を通って地下を一直線に大宮に向かうルートが考えられていました。
 また上越新幹線は、当初の都内ターミナルは新宿駅とされていました。東

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