「遠野物語誕生の場所」(日本民俗学発祥の地)
柳田國男の旧居跡
★ジャンル【学問】
★場所 新宿区市谷加賀町2−4−31
★最寄駅 JR、東京メトロ駅
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★碑文
「日本民俗学の父・柳田國男(1875〜1962)は、現在、大妻女子大学加賀寮となっているこの地にあった旧柳田宅で、小説家・水野葉舟の紹介により岩手県遠野市出身の佐々木喜善(1886〜1933)と出会い、佐々木が語った遠野に伝わる不思議な話を百十九話にまとめ、明治四十三年(1910)に『遠野物語』として発表しました。柳田は、明治八年(1875)兵庫県神崎郡福崎町に松岡家の六男として生まれ、十五歳で上京。青年期から文学に親しみ、田山花袋、島崎藤村、國木田独歩らと交流がありました。東京帝国大学卒業後は農商務省に入り、翌年の明治三十四年(1901)に大審院判事であった柳田直平(なおへい)の養嗣子として入籍し、昭和二年(1927)に世田谷区成城に移るまでの二十七年間をこの地で生活しました。『遠野物語』の話者となった佐々木は、当時早稲田大学在学中で、この旧柳田宅から徒歩で一時間弱の所(現在、凸版印刷株式会社トッパン小石川ビルがある文京区水道一丁目)に下宿しており、毎月のように、柳田の求めに応じ旧柳田宅を訪れ遠野の話をしました。『遠野物語』は、日本民俗学黎明の書として、また、日本近代文学の名著として、今なお多くの人に読み継がれています」
★解説
防衛省裏にある大妻女子大加賀寮の前に設置してあります。記念碑などではなく近代的な解説板です。写真にも見えるように「遠野物語百年」のロゴがあり、岩手県遠野市が2010年(平成22年)の発表100周年を記念して設置したものです。解説にも書いてある佐々木喜善旧宅跡にも同様の案内板があります。
しかし、「遠野物語誕生の場所」を「発祥」の仲間に入れるのはちょっと無理筋かなあ、という感もありますが、解説にもあるように「遠野物語」は日本に本格的な民俗学が成立した黎明期の書であり、ある意味ここは「日本民俗学発祥の地」とも言えるのではないかと思い直し、「発祥の地」に加えました。
柳田國男(やなぎた くにお)が水野葉舟(みずの ようしゅう)の仲立ちで佐々木喜善(ささき きぜん)と初めて会ったのは1908年(明治41年)11月4日とされています。学校から帰った佐々木の家を水野が訪れ、一緒に柳田宅へ行き話をして帰ったと佐々木の日記に書いてあります。その後柳田は頻繁に佐々木から話を聞き、草稿をまとめます。解説板には「徒歩で1時間弱の」とありますがそんなにはかからないでしょう。普通に歩いて30分。健脚な昔の若い学生なら20分ぐらいで歩けると思います。
解説文にもあるように、佐々木の下宿跡は凸版印刷の大きなビルの敷地内にあり、旧柳田邸周辺は大日本印刷本社などの事業所が集まっています。偶然ですが面白い因縁です。
そして柳田は1909年(明治42年)8月23日には初めて実際に遠野を訪れ、
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